◆ 徳本上人の遺跡についての情報をお寄せ下さい。
念仏行者といわれた徳本上人の独特な書体の「南無阿弥陀仏」6字名号碑が各地に見られます。
私の住む愛知県知多地方一帯にも、浄土宗関係寺院100ケ寺を調査したところ26基の名号碑があり、昨年、長野市の善光寺をお詣りした折には本堂左手に立派な名号碑がまつられていました。徳本上人の影響が、大変広いことを感じました。
あなたの町に、この徳本上人の名号碑、あるいは掛け軸などを見かけましたら、ご一報下さい。よろしくお願いいたします。
1978(昭53)年に、知多地方の徳本上人の遺跡を調査した結果を『徳本流名号石考』(写真集)(註)としてまとめ発行しましたが、その序文で次のように書きました。参考までに記載いたします。
『最近、愛知県知多郡武豊町で、町内の江戸時代の石造物を調査し、撮影・記録をすすめていたところ、同町大日寺と清応院(いずれも西山派浄土宗寺院)の境内に独特の書体で「南無阿弥陀仏 徳本」と刻銘のある六字名号石のあることを知りました。そこで、知多地方全域の実態をふくめて名号石の分布と由来を調べてみたのがこの小冊子です。
宗教に関してまったくの素人である私がおこなった調査ですので、ご覧のとおり粗雑なものであり、重要な資料が欠落しているかも知れません。いままで、ほとんど顧みられるこのとのなかった徳本上人(念仏行者)の行跡の一端を紹介することができればと考え、不充分な、ときには誤りさえ含んでいるかも知れないことを危惧しながらも、あえて小冊子にまとめてみた次第です。この小冊子の発行が契機となって、さらに、専門家による学術的な研究がおこなわれるならば望外の喜びであり、また、そのような研究を大いに期待するものです。
そして、浄土宗・念仏がこの地方で急速にひろまったといわれる江戸時代の社会的背景や当時の知多地方における布教の実態、民衆の生活や動向など宗教民俗学的な探求と解明がなされることを期待するものです。』
梶田註:『徳本流名号石考』(写真集)が少し手元に残っていますので、ご入り用の方はmailください。お送り致します。(無料)
徳本上人のプロフィール
仏教大辞典に、次のように紹介されています。(冒頭と末尾の一部分のみ)
紀伊の国日高郡志賀村久志(現和歌山県日高郡日高町久志)の人。姓は田伏氏(一説布施氏)、幼名三之丞、名連社号誉称阿と号す。父は三太夫、母は塩崎氏。宝暦8年6月22日(1758)を以て生る。4才隣家の小児を急死せるを見、夙に厭欣の心を生じ、稚戯にも唯仏乗を慕う。9才出塵を乞うも父母許さず、16才自ら勤行式を定めて精進念仏し、又農事の余暇、毎月大滝川月正寺に籠りて別時念仏を勤め、時に又老翁より一枚起請文を授かり、益称名を励み、18才以後常坐不臥を例とす。」 「文政元年(1818)9月宿痾増発し、自ら臨終近きを知り、15日弟子に命じて別時念仏を修せしめ、23日諸弟に遺嘱して曰く、我生涯一枚起請文を以て自行化他の鏡とす。汝等又等しく此の遺訓を守れと。病革ますとも常坐不臥を廃せず。10月6日斎を取り高声念仏して寂す。年61斎。辞世に「南無阿弥陀仏 生死輪廻の根をたヽば 身をも命もをしむべきかは」とあり。世に徳本行者と称す。」
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「白馬の石仏」 長野県北安曇郡白馬村教育委員会発行(昭和59年刊) 田中欣一氏調査・執筆
藤縄勝祐氏著「徳本上人と『曽我物語』の接点 「川津の塔、椎木、角力場、石投場」
「徳本行者と徳本名号塔」
「文化14年、相模の徳本」
徳本上人像の文化財指定を求める一般質問・答弁(要旨)
長野市 唐木田友一氏からの資料「徳本行者の布教の足跡と徳本念仏塔」
同 「長野市の石造文化財」
同 「信濃史学会刊 『信濃』第17巻第7号 原嘉藤論文『徳本上人御勧誡聞書』について」
二村順二氏 蒲郡市の徳本名号碑
二村順二氏 蒲郡市の徳本名号碑(その2)
徳本上人に関する情報を、ぜひ、お寄せ下さい。 |
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