「長野県史」より

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第六巻 近世三                                                                                                                             

 「ここで、念仏行者の著名なものにもふれておこう。専修念仏行者として高名な徳本は、文化13年(1816)3月、江戸から上州・信州布教の旅に出た。小諸・上田・松代などをへて善光寺に滞在、善光寺平から飯山をめぐり、転じて安曇郡大町などから松本にはいり松本平を巡回、さらに諏訪から高遠・飯田にもおもむいた。布教先にはどこでも民衆が熱狂的に群参した。徳本は参会者に小型の南無阿弥陀仏名号札を授け、その数は善光寺の寛慶寺での2万5761枚、飯田峯高寺の2万4435枚をはじめ各地でおびただしかった(「徳本行者信州・上州応請摂化日鑑」)。結成された念仏講社には大きな名号をあたえ、これを刻んだ石碑が信州に181基建てられたという。」(「徳本行者諸国名号日記」)。