「日高町の文化財」より

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先般、和歌山県日高町教育委員会より、「日高町の文化財」のコピーをお送りいただきました。創刊号で徳本上人の特集号(B5判32ページ)です。その一部(第1ページと編集後記)をご紹介します。


  徳本上人像
 享和元年(1801年)10月、徳本は有田市宮原の須ケ谷での3年間の修行を終え、箕面市豊川村粟生の勝尾寺に赴かれた。法然上人4年間閑居の旧跡地で二階堂を道場として別時念仏などを執り行われていた。又、年久しく荒らしていた松林庵を改修して徳本に供養するなど一山あげて随喜した。当時京都四條に西田立慶という仏師があり、立慶は前々から徳本に私淑して念仏称名に何となく法悦を感ずるようになっていた。
 享和の初期、徳本上人勝尾寺に留錫せられて念仏の弘通に精励されていることを聴き伝え、ひそかに京都を発ち松林庵の門を叩いた。立慶、徳本を一目みて其の尊厳さに打たれ、御姿を後世に残したいと徳本に懇請して百日間を一期とし毎日念仏の苦修を続け御姿を十二分に会得し終わった。期日過ぎるや一目散に帰京して一刀三礼寝食を忘れて一気に彫刻し完成の悦びを味わった。木像の両眼から発する威光は、拝者の心中を洞察するかのような鋭さに感激せざるを得ない。
 立慶が彫刻した木像は勝尾寺、一行院等数体あったが、戦災で焼失し、現存するのはこの御像と、愛知県知多地方の大日寺の一体等数少なくなっている。

  編 集 後 記
○念仏行者徳本上人は、全国的に高名な聖者ですが、出身地である日高町ではあまりしられていません。
○このたび「日高町の文化財」を創刊するにあたり、少しでも上人を知ってもらうため、「徳本上人遺品集」を特集しました。
○この写真集に掲載している遺品は、各寺院や各家庭の寺宝であり家宝であって、一部をのぞいて殆ど公開されていません。
○今回「徳本上人遺品集」刊行に際し、心よく資料を御提供下さった誕生院、浄恩寺、安楽寺、小中の楠幸夫氏、御坊市の猿渡氏、千津川の戸根政吉氏、に心から御礼申し上げます。
○掲載の写真は、野田宏氏にお願いしました。撮影から現像、焼き付け等数ヶ月に亘って一人でやっていただきました。また写真の説明文は畠山一三氏にお願いして書いていただきました。両氏に深甚な感謝の意を表します。
○徳本上人の手紙文は難解な文字が多く、解読に誤りもあるかと思います。御気付きの点がありましたら御連絡下さい。
○本号は「日高町内の徳本遺品」に限定しましたが、この外、町内の寺院や個人で遺品をお持ちの方も居られたのですが、ページ数に制限がありましたので次の機会へ譲らしてもらいました。
                                                                (西岡 記)

参考文献 徳本行者伝
       徳本行者全集 戸松啓真編