蒲郡市の徳本上人名号碑 |
2001年10月20日、蒲郡市の二村順二氏よりFAXをいただきましたのでご紹介します。 |
私の住む蒲郡市では、今のところ、三件しか徳本上人碑を発見できていません。形原町(浄土宗西山深草派の利生院)、豊岡町(同派真牧寺)、竹谷町(無所属、庚申堂)にあります。利生院の碑は、一部に読み取れないことがあるので、紹介できません。参考になれば幸いです。ご希望があれば、後日、写真を送ります。
○竹谷町の碑
文政元十月六日 (梵字) 徳本大和尚 同行中 |
○豊岡町の碑
南無阿弥陀仏 徳本(花押) 天保十五辰十月六日 本山明空上人代 当山十七世 願空観瑞西堂代 |
二村順二氏 石碑めぐり |
10月21日、二村順二氏より、「地元紙に連載している『石碑めぐり』の中に、徳本名号碑があるので、その原稿を送ります。」とお電話をいただき、FAXでお送りくださいました。上記のFAXとご一緒にご覧ください。 |
石碑めぐり(15) 徳本上人の碑 |
石碑めぐり(245) 真牧寺の徳本碑
豊岡町の真牧寺は、浄土宗西山深草派に属する古刹である。門前に、かなり風化した名号碑がある。目を凝らして、次のように読み取れた。
南無阿弥陀仏 徳本
天保十五辰十月六日
本山明空上人代
当山十七世
願空観瑞西堂代
念仏をたくさん称えた徳本上人は、深遠な学問はなかったが、分かりやすい教えで庶民から大名まで慕われた。その独特な書体の字は、ほとんど全国に石碑の形で普及している。文政元年の遷化だから、天保十五年とは二十四年の開きがある。
「深草史」によると、本山の明空上人とは、京都の円福寺五十五世となった明空徳現順阿孝運大和尚のことである。幡豆徳永村の渡辺伝左衛門の家に生まれ、藤川徳性寺で得度を受けた。三好万福寺などを経て、本宿法蔵寺住職となる。円福寺に五年いて、鉢地菩提院に老を養っていた。
願空観瑞は、特に記録がないが、まじめな住職として、また寺子屋の師匠として生きたと思う。
石碑めぐり(247) 利生院の徳本碑
形原町の上野山利生院は、浄土宗西山深草派に属する。門前にある道標は既に紹介したが、その隣に徳本上人の名号碑がある。円柱型で、かなり大きい。
南無阿弥陀仏 徳本
文政元戌寅十月六日
その下の台座に、次の文字が読み取れた。
念仏講中
願主
同行中
徳本上人は、浄土宗鎮西派に属する念仏僧であるが、光忠寺や大光院には名号碑がない。しかも利生院には、全国でも数少ない徳本上人の木像が本堂に安置されている。
その大きさは、高さ一尺三寸である。座像で、手の印相は上品上生を表している。全体に彩色を施してある。作者や年代は不明であるが、この利生印とは特別の仏縁あってのものと思う。
利生院の徳本碑にある文政元年十月六日の日付は、実は遷化の日なので実際の建立は後である。
徳本上人について、もっと調べたい人には、岡崎市鴨田町の荒井山九品院への参詣を勧める。