礼記射義・射法訓の教え夏 の 巻―(中級編)

この小冊は、弓道教本の見開きにあり、そして日本の全ての道場に掲げられている「礼記射義」「射法訓」の考え方について、4―5段程度の中級の方を対象に纏めたものです。これから称号者として後進の指導に関わる時に、この一番重要な教訓を日頃の修練の中で実感として経験されると、貴方の弓道人生は精神的に優雅なものに変るでしょう。内容が分かり難いと思われたら、「春の巻」に戻り、もう少し深くと言う方には上級編の「秋の巻」を参照していただくと良いかと思います。

1997年12月1日 松 井 巌 記述

〒492-8213 愛知県稲沢市高御堂2-23-6
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目 次

1「礼記射義の教え」について 3
 1)初めに!! 3
 2)意味は??? 3
 3)これは誰の教え?? 3
 4)礼はどんな考え方のもの?? 4
 5)心の伴わないものは礼ではない? 5
 6)礼と人間関係? 6
 7)礼記の中の射会と礼―五倫についてー 7
 8)礼記射義解説の最後にあたって 9
2「射法訓の教え」について 11
 1)初めに!! 11
 2)射法訓は 何についての教えだろう??? 11
 3)これは誰の教えなの?? 13
 4)前半の部分の補足説明 14
  (1)骨を射ること最も肝要なりとは?? 14
  (2)心を総体の中央におくとは? 14
  (3)左右に分るる如く放つとは? 15
 5)後半の部分の補足説明 15
  (1)的中の位の5段階 16
  (2)筵・布・絹・綾・錦五段の事 18
  (3)仏教の基本的な知識 20
 6)最後に 23


1「礼記射義の教え」について

1)初めに!!

どこの道場にも礼記射義の額が懸かっていますが、これは「らいきしゃぎ」と読んで下さい。「れいきしゃぎ」と呼ばないように注意をして下さい。そして書く時には、「射技」と書かないように注意してください。
弓を射る技についての教えではなく、弓を射る時にしなければならない事を教えているので射の義なのです。義と言う言葉は、道義・義理・義務の様に人としてしなければならない事をさして「義」と言うのですから。

2)意味は???

「弓を射る時には、立ち居振舞いの全てを礼に従って行わなければなりません。心や考え方は先生に教わった通り正しく、服装は清潔な胴着・袴に白足袋に身を固めて、そうして始めて弓を執ります。しかしそれも事前に弓のはの高さ(弦と弓の距離)・中仕掛け等がキチンとなっている事を確認します。正しい射法により、正しい射を求めて的に矢を射て、そして的中した時に始めて当ったと言わなければなりません。的中を求めるあまり狙いを替えたりして的中してもそれは本当の当りとは言いません。
だから昔から、射手の射を行う態度や姿勢や射そのものを観ることにより、その人の人柄や人徳を観る事が出来るを言われています。
その人の考え方や弓に対する姿勢が、その射に現れるからです。
弓を射る事は人格完成に向けての修行の道と言われてきました。射は、正しい事を自分に求めなければなりません。基本の通り、先生に言われた通り、正しい事を自分に求めて、そうなるまで我慢をしながら努力をして、その上で矢を発するのです。
矢を放した結果が、的中を得ず、自分が負けたとしても、それは相手を怨むのではなく、正しく射れなかった自分を反省しなければなりません。射は、正しく射れば必ず当るものです。しかし、当ったからと言って正しく射る事が出来たかどうかは別です。正しくなくても的中をするからです。しかし正しく射れば確実に的中するのです。ですから何時も正しい心で、正しく射る事を努力しなければなりません。」
と言うような意味になるのでしょうか。

3)これは誰の教え??

これは誰の教えか分かりますか? ここで原点に戻って説明しましょう。
この文章は、中国の孔子(こうし)と言う人の「礼記」という礼儀についての教えの本の中にある言葉です。孔子と言う人は、日本の大和朝廷が出来る800年も前の人です。大変な偉人で、勿論弓の名人でもありました。この人は、人を治めるのは人徳・人柄によって為されなければならないと考えました。力に頼ったり、人を利用して自分に権力を集中させて人の上に立つのではなく、人柄によって周囲の人に支えられてなるものだと考えました。少し難しい言葉ですが「徳治主義」と呼ばれています。
既に中国では国家が成立しており、紀元前1000年頃の西周と言う国の皇帝が、政治をするに当たって、この人柄により行い、民はこの皇帝の言われる事を素直に実行して国民も豊かに幸せに暮らしました。孔子は、この西周の皇帝の行いを見本にしながら、色々な人間として為さねばならない事を整理し、纏めていき、そして実行していきました。それらの孔子の教え全体を「儒教(じゅきょう)」と言います。
そしてこの儒教は、紀元前136年の前漢と言う時代に、中国の国教に取り上げられました。それ以降約2000年間に渡って中国の人の善悪の判断基準となりました。
孔子が残した教えは色々とありますが、お弟子さんとの問答は「論語」と言う本に纏められています。そして皇帝が行う国家の祭礼や行事の仕方から、一般市民の冠婚葬祭に至るまで、色々な場合の礼儀作法の在り方を「礼記(らいき)」と言う本に纏められています。これは全体では49章から出来上がっていますが、その46番目に「射義篇」と言う部分がありますが、礼記射義はここから引用されているのです。

4)礼はどんな考え方のもの??

礼記射義は、道場の中での立ち居振舞いの礼儀作法についてのみ言っているのはありません。人間関係の在り方について迄を含んでいます。
礼の考え方について説明する前に、儒教の中で大変重要な教えに「五常(ごじょう)」と言う考え方があります。字に示すごとく、人として常に行わなければならない五つの事をさしていいます。日本では江戸時代に儒教の一派の朱子学(しゅしがく)と言う教えを武士の教育の基本にしました。五常も本場の中国と日本では少し違いますので、ここでは日本で言われている五常について説明します。
人間が常に行わなければならない五つの事とは、「仁(じん)・義(ぎ)・礼(れい)・智(ち)・信(しん)」の五つです。一つ一つの言葉は聴いた事があると思います。
それらを簡単に紹介しますと、
「仁」とは人間の理想的な在り方を指していますが、ここではごく簡単に説明しましょう。仁とは人が二人と書きます。人が二人以上になった時にはお互いに人間としてしなくてはならないこと、即ちお互いの「思い遣(や)り」です。思い遣る心により人間同士が上手く社会を構成して、幸せに暮らせるのです。思い遣りは、気遣いとはちょっと違います。気遣いはその場その場でお互いが表面的に見えている事に対して気を使い合う事を言いますが、思いを遣るとは見えていない部分にも気を使う事を言います。表面的な事だけでなく、その裏に隠れている事や、将来に渡る事までを含めて、思いを送る事になります。慈悲深く、隠れている処や、将来の遠くの事までも考えながら気を使う事を指します。
「義」とは、正義・恩義や義務や道義や義理の言葉が示す様に人間として当然すべき事を義と言います。だから射義となるのです。
「礼」は仁を形に現わしたものであり礼儀作法となります。しかし本来の意味は神様・祖先等への祭りの際にする作法をさしていますが、これが人間同士での作法の在り方に広がってきているのです。国王に対して、先生に対して、先輩に対して、年長者に対して、同輩に対して、友達に対して、お客様に対して等など、あらゆる人間関係における礼儀作法を言います。
「智」とは人間が生かされていると言う本当の智慧であり、正しい事は必ず報いられる等と言う自然の摂理(ルール)を知り、それを生かす事をさしています。単純な知識とは違います。習っても実行しなければそれは知識にしか過ぎません。それを実行して本当にそうだと想って自然に出来るようになって始めて智慧になります。
「信」は信用であり、信頼です。これは漢字の造りから見ても人が言うと書きますが、人の言う事は信頼出来るものでなくてはなりません、簡単に言えば嘘を付かないと言う事でしょう。お互いの言う事が信用出来て始めて社会は成り立ちます。自分が間違ったと思ったら、素直に認めて、それを改めれば善いのです。メンツに拘って非を認めないとか、恰好が悪いから素直に自分の誤りを認めないとか、相手が非を認めている時に自分には何も非が無かった様な顔をしているとか、これらは全て「信」からは外れた事になります。この「信」と言う考え方は中国では紀元前1700年から紀元前1000年迄栄えた殷(いん)と言う時代にあった考え方で亀甲文字として残っています。こんな時代には紙は在りませんから、亀の甲羅や木片に文字を書いた訳ですが、亀の甲羅に書かれた信と言う文字が残されています。その位昔から大切にしてきた考え方です。
次いでに紹介すると誠と言う字がありますが、これも言うと言う字と成ると言う字から出来上がっていますが、言った事は必ず実行すると言うのが誠と言う意味になります。

この五つを、人間として何時も心掛け実行しなければならない事として教えています。これで礼と言う考え方について理解も出来るでしょうか??

5)心の伴わないものは礼ではない?

道場の中の体配でも、日常生活・会社などでの礼でも一緒ですが、形だけをしている人がありますが、あれは礼とは言わないでしょう。心が篭っていなければ礼にならないのは、上の五常で礼は仁を形に表したものと言う説明を見ても明らかでしょう。
例えば一番端的な例が、道場に入る時に頭を下げる、本人は礼の積もりでいる。
しかし、どんな意味で礼をしているかを考えている人は非常に少ない。
先生から教わっているからやっているに過ぎないのではないだろうか?
誰に対して、又は何処に対して、どんな心・気持ちで礼をしているのだろう?
これを読んでいる人も改めてそう聞かれると悩んでしまう人が多いのではないだろうか?悩む人は礼に心が伴っていない人でしょう。
次いでに、礼のつく言葉で大切な事を紹介しておきましょう。
それは失礼・無礼・虚礼についてです。
失礼と言う言葉を時々遣います。失礼とは本当は心を込めて礼をしなければいけないと思いながらも、ついつい礼を失っしていることを言います。無礼とは、礼が無い事を意味しています。ですから前者は、本当は知っているのだが欠いてしまった事を言い、後者はその意味も分からない初めからその心も無い事を言うのではないだろうか??失礼ねーーとか、それは無礼だよーーと言っている意味はこの事です。
その他に、虚礼と言う言葉があります。これは、心ではう敬う気持ちも無いのに有るように見せかけて礼をする事でしょう。

では、道場での礼はどんな気持ちが入っている事が必要でしょうか?
「道場に来た時」:
練習の為に道場を訪れて、神棚に向かって礼をする時、及びその後先生にする礼については、本日も自分を高める為に練習に参りました。先生方から教わった通り、そして弓道教本に示されている通り、真剣に練習を重ねながら自分を高めたいと考えています。精一杯行じますので、お力添えをお願い申し上げます。と言う気持ちでしょうか?
「審査等の射場への入場の時」:
審査等で入場での礼は、これから自分の持てる力の精一杯の処で頑張りたいと思います。正しきを求めて行射したいと考えています。どうかお見届けください。そして不十分な処についてご教授戴けたら嬉しく想います。よろしくお願い致します。
ということでしょう。
「弓友同士で交わす礼」:
弓友とは、今日もお互いに一生懸命に精進致しましょう。よろしくお願い致します。
道場内でぶつかりそうになった時などは、失礼致しました。お先にどうぞーーとかお先に失礼させて戴きます。

礼を交わすと言う事は、互いの尊敬・敬愛・思慕・依頼・思い遣り等の社会生活を営む上において必要な人間同士のお互いの心の交流の気持ちを表わしているのです。だから仁を形で現わしたものが礼と言う事になります。ですから心の篭っていない礼程失礼な事は無いのです。形式ではありません。これを注意していないと弓道場では先生からお叱りを受ける事になるのは当然の事となります。

6)礼と人間関係?

礼記の射義編においては、「射は進退周還必ず礼にあたりーー」の前に、重要な言葉が略されています。それは、本文ではこの前に「故に」と言う事ががあります。
そしてその前には、天子や政府の要人や地方の行政官が主宰する射会の事について、記述されています。そこでは、弓を射く前に宴会を催す事が書かれています。
しかし、喜んではいけません。これは実は宴会の席を通して、正しい礼が出来るかどうかを「勤務評定」される宴会なのです。民を公平正大に取り仕切る事が出来るかどうか、尊敬・敬愛・互譲・思い遣り等の仁の心を持っているかどうかが、この宴会を通して評価されるのです。ですから勿論酔っ払う事なんて出来る訳がありません。失礼や無礼ましてや虚礼の事実が見つかればただちに左遷ないしは、職務を解かれるでしょう。すなわち行政官に不適切と言う事で首になるでしょう。
何故でしょう? 元々これらの政府の要人や地方の行政官は、採用試験で儒教に定める礼を初めとして考え方や価値観を徹底的に審査されるのです。科挙(かきょ)という政府関係者を撰ぶ試験科目が礼を含めた儒教の色々な考え方なのです。今の日本で言えば、国家公務員・地方公務員の採用試験には必須科目として儒教があり、弓を射る科目があり、計算があり、文字を書く事があり、馬車を御する事などがあるのです。
天子と諸侯の間で行う射会を燕礼(えんれい)と言います。大射礼(たいしゃれい・またはだいしゃれい)と言います。この席では君臣の大義をハッキリさせるのです。郷大夫が行うのを郷射と言い、その宴会を郷飲酒の礼と言います。ここでは長幼の序を明らかにすることです。

7)礼記の中の射会と礼―五倫についてー

この部分については、もう少し詳細に紹介しましょう。礼記の射義編の一番初めの部分に書かれている内容ですから、一番重要な処になりますからーー
「諸侯が行う射は大射と言います。郷大夫士が行う射は郷射と言います。いずれもいきなり射を行うのではなく、射に先立って前者では燕礼を後者では郷飲酒の礼を行います。それから射を行います。何故にこうするかと言えば、燕礼では諸侯群臣を集めて酒宴を開き、その間で君臣の礼を明らかにする為です。郷飲酒では郷大夫士が集まって酒宴を開きながら長幼の序を明らかにする事です。ここでは進退周旋の節度を身に付け、お互いに礼を尽くしながら酒宴を進めます」とあります。もう少し補足をしますとーー
弓を射る事は、選ばれた人達のこれらの宴席に参加する事であり、男子たる者の晴れ(名誉)の事です。天子や上位の郷大夫と一緒の席で参加する事であるからです。
だから必ず礼と楽を以って行うのです。そこで立派に射を飾るのは、射によって人の徳を養い、進退周旋すべての動作が正しく礼にかなっている事を参会の皆さんに認めて戴くことになります。射を通して自分の生き方・考え方を見届けて頂くのです。
確かに大射における燕礼と郷射における郷飲酒の宴は、主催者は宴を行う事により、相い会する客人を心から楽しませる作法が必要です。そして参会者はこの宴にお招き戴いた事を感謝して、この宴席の間中礼がなくてはなりません。射をする事は、自分の考え方や行動が公明正大であり、正しきを求める自分であることを実証する事にもなります。ですからに大射・郷射の礼があるのです。宴席や射を通して、自分が君に対して忠実であり、公明正大であり、礼の即した立ち居振舞いが身に付いている事を示す事により、臣民として、郷大夫士として的確である事を認めて頂き、その職を継続する事が出来る事の保証を得る事になります。従って、礼を行うに当たって正しい意義が無くてはなりません。その意義とは、宴を行う事によって君臣の義・長幼の序をハッキリさせなくてはならないことであり、それを確認した上で射に入ります。それだから射は進退周旋礼に中りで在る事が必要になるのです。」この部分が、道場に掲げてある「礼記射義」の前段にある部分です。

この中での射の位置づけは、平時には弓射る事を通して礼儀作法を習わし、芸を修めさせ、射を通してその人徳を見て士として選び、天下に事ある時には、弓射の技を用いて戦いに参加させる。射には大射・賓射・燕射・聘射・郷射・州射・武射・軍射などがあります。

ですから、定期的にこの様な射会を持ちながら、互いの人柄や行動をチェックするのです。これは参加する方からすれば、科挙により一旦政府の要人や行政官として厳しい試験に合格し、その職に採用され、その後その心を実際に持って役目を果たしている事を証明する場になります。ですから「勤務評定の場」と言う事になるのです。決して、お酒を飲んで楽しく射をしようと言うのではありません。

ですから特にこの中で重要な事は、儒教で定める五つの人間関係でしょう。
それらは、五教または五倫と言いますが、君臣の義・父子の親・夫婦の別・長幼の序・朋友の信を言います。そのお互いの礼の内容はーーー
「君臣の義」:
君と臣との間でお互いに守るべき道・礼儀であり、君は君主としての仁を尽くし、臣は臣下としての忠を尽くすこと。これは現代に当て嵌めるならば、支配する人とされる人、または管理する人とされる人の関係と考えても善いのでしょうか?会社・地域社会・道場の中での師弟関係もこの延長線で考える事が出来るのでしょうか?
「父子の親」:
父は子を慈しみ、子は親を愛して孝を尽くすこと。そしてその間柄に自然の情愛があることを必要とします。ここでは封建時代の教えであり、現代流に考えるならば親子の関係に当てはまるのではないでしょうか?親が持っている人生の智恵は、子供にとっては大きな指針となり、又親が子供をどの位大切に考えているかも分かるでしょう。
「夫婦の別」:
夫と妻はそれぞれの役割分担があり、それを守らなければならない。夫は夫のしての役割であり、妻は妻としての役割です。お互いに馴れ合い・汚し合ってはならない。これも同じく闘う時代の封建時代の教えであり男中心の考え方の中にあるのでしょうが、これは男女同権の現代でも通用する考え方ではないかと思います。それは男女とも人間としての権利義務は全く同じであるが、男子と女子ではやはり社会・家庭での役割・分担があるのではないかと思います。性に伴うお互いの違いがあり、それらを補い合って社会生活の単位を形成している事を考えたならば、夫婦の別があって当然だと私は考えています。
「長幼の序」:
年長者と年少者の間には道徳上、当然守らなければならない秩序がある。年長者は年少者を憐れみ可愛がり、年長者は年長者を敬い、尊ぶことです。これは現代にもその侭当てはまるものと思います。それは年長者の持つ豊富な経験を教わり、それに支えられながら社会生活を営む処から生れるのではないかと思います。
「朋友の信」:
朋は同門の者・友人・同志の者を言う。信は人言うこと偽りなしで、まこと・真実を言う。友人間においては真実がなければならない。これは言うに及ばないでしょう。

孔子が考えた儒教の中で一番大切な考え方は、この間柄なのです。それを実現する為に五常もあるのです。ですから、道場に掲げられている礼記射義の本文は本当は「故に射は進退周旋必ず礼に中りーーー」から始まっていると言う事を記憶しておいて戴きたいのです。

8)礼記射義解説の最後にあたって

礼記射義の中には、大変な考え方が盛り込まれている事を理解されたと思います。
冒頭にも紹介しました通り、道場に掲げられている「礼記射義」は前半では主に道場の中での立ち居振舞いについて、そして後半では弓道とは何ぞやと言う事について示していると説明しました。それが礼記射義全体が儒教の礼記という書物の中にあり、礼記や儒教全体の考え方が理解出来ないと結局は礼記射義の意味も理解出来ないと言う事で、ちょっとこんな部分についても触れながら説明をしました。
弓道が、弓の道であり、弓を通して人間の在るべき姿に近づこうと言う道であることを考えると、この礼記射義の教えは大変に重要なものである事を理解して頂けたと思います。この解説を読まれた方は、せめてもの事として、
@ 弓道とは一体何か?
A 礼とは形式ではない、心だ?
B 五倫または五教と言われる人間関係の姿は?
C 五常という人間として常に行わなければならない事?
と言う事を考えて戴きたいと思います。
その中で毎日の自分の弓道修練の考え方や姿勢を考えて頂きたいと思います。

私の心配事を最後に書かせて頂きます。
礼記や儒教については、日本では西暦500年頃に朝鮮半島を経由して紹介されました。604年に定められた「聖徳太子の十七条憲法」にもこの儒教の影響が強く反映されています。そして江戸時代には徳川幕府は武士の教育の真ん中に、儒教の一派である朱子学を据えました。これは武士だけでなく、寺子屋等を通して国民一般の共通の考え方として浸透しました。勿論日本流に消化した形になっています。それは明治時代から昭和の第二次世界大戦の終了迄の長い間に私達の生活の中での基本的な考え方となっていたことです。その為に、社会や会社、地域社会・家庭等での習慣の中にあちらこちらに浸透しています。儒教と意識しないで既に血肉になっているとも言えるでしょう。
それらは戦後、西欧の自由平等思想の元で、失われてしまったと言う事です。
日本人の伝統的な武道の一つの弓道を学ぶ私達が、伝統的な考え方を充分に理解しながら、新しい時代に合った形でその精神を学ばなければならないのは当然です。しかし、本質的な内容を理解しない侭に、分かった顔をされるのは大変に困る事と考えています。
戦前に青春時代を送られた方達には、儒教のこれらの考え方は常識ですが、戦後生れの方には常識でもなんでもなく改めて勉強をしないと理解出来ない物になっている事です。これは弓道の先生がおっしゃる事の本当の意味が理解出来ない事を意味します。
折角の先生の貴い経験を教わるチャンスも無くなってしまいます。
特に、工業高校を卒業されている方には漢文又はその中にある論語等は大変になじみのないものでしょう。科学的合理性による学問が始まる2000年も前からある考え方であり、中国だけでなく東南アジア全体・日本でも長い間に亙り継続して、それぞれの国家の中心となる考え方として受け継がれてきている考え方であるからです。
ですから、科学的合理性を中心にして理解しようとすると、理屈に合わない事や、理解出来ない事が含まれているのは当然です。しかし、考えて戴きたいのは科学的な考え方が完成する2000年も前からの東洋の人達が長い年月をそれを使い、善いものを残しながら継承してきた体験の累積がここに凝縮されているのです。ですから悲しいながら、同じ日本人同志でも年代層により、儒教についての理解に差があることです。

それと武士道に関する本などを読むには絶対に儒教が理解出来ていないと、武士道の考え方自体が理解出来ない事です。武士の教育の中枢の学問であったからです。武士道では、「破邪顕正」と言う言葉をよく遣います。間違っている事(邪)を打ち破り、正しい事を顕すと言う事です。人の命まで絶つ事の出来る刀を差す事を許された唯一の階級の武士ですから、何が正しく・何が間違っているかを、正確に区分しなければならないのは当然です。その基準が儒教の教えだったと言う事実をよく考えて戴きたいと思います。礼記射義の「射は正しきを己に求める」と言う考え方がここにあります。

2「射法訓の教え」について


この章は、弓道教本の見開きにあり、そして日本の全ての道場に掲げられている「射法訓」の考え方について、日置流竹林派弓道・真言仏教をご存知のない弓道生向けに纏めたものです。これに満足しない方には上級編を参照していただくと良いかと思います。


1)初めに!!

どこの道場にも射法訓の額が懸かっていますが、これは「しゃほうくん」と読んで下さい。礼記射義とは違い読み方も書き方も問題はないと思います。
弓を射る技についての教えではありますが、最後の2行の中には仏教思想の中での弓の道について教えていると思います。単に射をする技と考えると弓の道を大きく違える事になりますので注意を払いたいと思います。

2)射法訓は 何についての教えだろう???

教えの内容は、弓道教本にも書いて有るからここでは私流の理解の仕方で復習してみましょう。
「弓を射る時には、弓を力に任せて射ると言うことではなく、夫々の骨法により引き・骨法に嵌まる様に射る事が肝心です。その為には、自分の意識を体の中央において、引くに当たっては弓手と妻手を2:1位の積もりで射くことが肝要です。これは折り曲げた妻手と真っ直ぐに押している押し手の力のバランスからもそうすべきであろう。折り曲げた方が力が大きく出るからです。左右均衡して引き分けて自分の骨法に嵌まるように射き治め、気持ちを体の中央において、胸の中筋から左右に均等に張合って行き、分かれる様に離すことである。そうすると一文字に離れる事ができます。竹林流の伝書では、この事により鉄が石に当たって火花を発する様に鋭く軽い離れにより、雄大な残身・残心へと広がっていく。そして宇宙と一体になった雄大で深淵な弓の世界が広がるでしょう。的中も大切ですが、弓道の中の冴えとか、軽さの中の鋭さなど技術だけでは得られない的中の味わいも感じる事ができるでしょう。」
と言うような意味になるかと思います。弓道教本の解説に従って理解して下さい。

ここでは、射法としての左右のバランスと離れの味わいについて説いています。
まず、引き分けにおける左右の力のバランスから考えると、折り曲げる妻手と真っ直ぐな押手の力のバランスが違うことです。又人は弓を引くという観念を持っている為に自然に妻手中心になってしまいます。しかし日本の弓の構造を考えると、押手に注意を払わないと的中が得られないのです。弓の姿を眺めると善いでしょう。弓の真ん中辺りに弦が通っています。そして矢は握りの右に据えるのです。これによりごく自然に射れば、矢は自然と的の右の方に飛んでいくと言う結果になります。これは角見の話になりますが、日本の弓のこの特徴的な姿から矢を真っ直ぐに飛ばす為に「手の内」が重要視されるのです。言葉に秘密を明かす事を「手の内を見せる」と言う言葉がありますが、真っ直ぐに飛ばす為の手の内のたこの付きかたなどを見せる事を言います。
力も当然引く力の方が、押す力よりも大きいので、そのバランスを言っています。
その体の中での力の働き方と、弓を引くと言う人間の極く普通の考え方の中で、押手の重要さと引き分けのコツを経験的に見付けて伝書の中で教えてきたのです。
その考え方は、日置流竹林派の教えの「押大目引三分一」の教えから来ています。
春原平八郎先生の現代弓道小事典の説明から引用しますと、「押大目とは、弓手にて弓を押す事は大事な眼目とすべき事で、押し手は弓に押し戻されないように、飽くまで強きを望み、引き三分一とは、之に対して引くことは斟酌して三分一の力を持って之に耐え、己が引くべき矢束の三分の一になるに止め、左右の釣り合いを取るべきであると言うことである。」
これが「弓手三分二弦を推し、妻手三分一弓を引く」の意味となります。

さらにここで注意すべきは、「弓手で弦を推し、妻手で弓を引く」と言う表現の仕方です。普通は弓手で弓を推し、妻手で弦を引くとなります。これが逆になっているのは、押し手は妻手を考え、妻手は押し手を考えと言う互いを思い合う処からのバランスを教えています。これは次のような竹林流の教えと関連があります。
「剛は父 繋(かけ)は母なり 矢は子なり 片思ひして 矢は育つまじ」
これは、押手は父、妻手は母であり、その間にある矢は二人の子供です。片思いしていては良い子は育たない。互いの愛情すなわち思い遣りと、庇い合いがあって初めて善い家庭となり、善い子供が育つと言う意味です。それが、弓手は妻手の方側の弦を思い、妻手は弓手の方側の弓を思うと言う表現方法になっているのでしょう。

書に曰く以降は、竹林流の伝書の中に書かれている非常に深い意味がありますので、別の項で説明をしたいと思いますが、ここでは的中にも位がある。射品・射格と言われるのがそれです。手先同士の釣り合いによる的中(合わせ放れと言われる事が多い)・弓と体が一体となった中で得られる的中、弓と体と心が一体になった中で得られる的中(正しい矢束により弓が体に嵌まり、詰め合い・伸び合いの精神的な作用と共に自然に離れる中で得られる的中)・更には鉄石相剋の軽妙な離れから生れる鋭い的中(雨露離や梨割の離と言われる様に胸楔・割楔により誘発される自然の離れとしての軽く鋭い離れから生れる的中)・更にはそれらを超越した枯れた射から生れた悠々の的中の5段階に分れ、決して単なる的中に満足していてはいけない。同じ的中にしてもこの様に格があり品の違いがある。精進してより上位の的中を求めて修練をしなければならない。それらの結果として、仏教で言う「金体 白色 西 半月」という五輪砕の雄大で深淵な世界が開かれる。という程度の説明に留めましょう。的中の五つの位と考えておいて下さい。

3)これは誰の教えなの??

「射法訓」は吉見順正の教えとなっていますが、吉見順正は紀州竹林流の中興の祖と言われている弓の名人です。三十三間堂の通し矢で有名な和佐大八郎の師匠です。通し矢と竹林派との関係は中級編で詳細説明します。
射法訓は、この紀州竹林流の吉見順正の教えとなっていますが、後半の「書に曰く」と有るように、日置流竹林派のちのと竹林流の伝書に基づいている事を知って置いて戴きたいと思います。この竹林派の流祖は、石堂竹林と言う方で、名を竹林坊如成と呼びます。(この流派は、日置流七派の一つで当初は日置流竹林派と称しましたが、二代目の竹林貞次から竹林流を称するようになったと言われています。)ここで竹林流の流祖の竹林坊如成(ちくりんぼうじょせい)は、その名前からも分かる様に僧侶であり、宗派は真言宗でした。ですから四巻の書の中にも真言宗の教え・空海(弘法大師)の教え・逸話等が随所に出てきます。もっと言うならば、空海の教えである真言宗・真言密教・大日如来仏教が教えがその弓道理念・伝書の下地に在る事を知っておいて戴きたいと思います。
吉見順正は、前記の通り紀州竹林流であり、従って「射法訓」の全体は竹林流の伝書である「四巻の書」のあちらこちらに記述されている処を吉見順正が短い教えに凝縮したと言えるでしょう。ですから、最後の「書に曰く 鉄石相剋して 火の出ること急なり。即ち 西半月の位なり。」の部分は、大変に難解で一言では説明が出来ない位の深さがあります。ここを説明する為には、上記の「四巻の書」を引合に出さないといけないのは当然として、それを引合に出したとしても更に仏教思想を呼び戻さないと説明が出来ない事になります。この初級編では、そこまで入り込む事は止めたいと思います。せいぜい四巻の書の範囲でとどめたいと思います。

私の学ぶ尾州竹林流においても「尾州竹林流 四巻の書」(これは魚住文衛先生が弓道誌に解説されました)がありますが、この四巻の書は紀州竹林にもあると思われますが、その内容は殆ど同じであり、ここでは同書を代表して説明資料にしたいと思います。
私は正式な書物を見たことがないので、聴いた話として紹介すると「石堂竹林派 弓術書 第四巻」と言われ、一般に「竹林流 四巻の書(ちくりんりゅう しかん の しょ」と呼ばれるものです。これの同類の伝書が上の「尾州竹林流 四巻の書」です。

4)前半の部分の補足説明

前半の部分は、弓の射き方であり理解しやすいと思いますので、補足説明の程度にしたいと思います。

(1)骨を射ること最も肝要なりとは??

初心者の方には、先ずは自分の矢束と言うことで説明をしておきましょう。力任せに手先で射けば当然弓を引く寸法(矢束と言いますが)、これが一定になりません。それは的中が安定しないと言うことと、離れは生れないと言うことです。弓も道具ですから、何センチ引いたらどれだけの張力になり、どれだけ矢が飛ぶかが決ってくると言えます。だから矢束が一定しないと言うことは、矢の強さも・速さも違ってくるということになります。だとしたら、どこに引き収めるといいかと言えば自分の持って生れてきた骨組みになります。これなら筋肉と違い緊張したから矢束が縮んだとか、勢い余って矢束を取りすぎたと言うことはなくなります。
それにこれにはもっと深い意味があります。的中の味わいの処で詳しく述べます。

(2)心を総体の中央におくとは?

総体とは、全身を言います。即ち重心の位置でしょう。即ち丹田です。
丹田というのは、そういう臓器があるわけではなく仮想の部位です。位置は、息を吐き切って、吸う息で一番初めに息が入ってくる処です。丹田呼吸の元の部分です。この位置は、歩いたり走ったりする時に、上半身と下半身が交差する位置でもあります。
ですから引き分けにおいて丹田に力が宿る様に引き分け、会では丹田から天地左右に気合が広がっていく様にと言う意味です。
ここで丹田呼吸を腹式呼吸と混同している方がいますが、腹式呼吸では息を吐いた時にお腹がへっ込みます。丹田呼吸の場合には、吐く息により下腹部が寧ろ固くなります。ここに全くの違いが現れます。腹式呼吸では、吐く息と吸う息では腹圧が大きく変化しますが、丹田呼吸では腹圧は一定です。だから丹田呼吸では、呼吸における隙が生れにくいから武道では腹式呼吸を使わず、丹田呼吸を使うのです。腹式呼吸の場合には吐く息と吸う息の繋ぎめが隙となります。剣道などの打ち込みのタイミングはここになります。丹田呼吸ではこの継ぎ目が見えにくい事になり、隙が少なくなります。
審判席で見ていると、引き分け・会においてお腹がへっ込んだり、膨れたりする人がよく見かけますが、この人は明らかに丹田呼吸が出来ていない人です。高段者でも意外にこの丹田呼吸が出来ていない先生があります。
丹田呼吸には、もっと深い意味がありますが、ここではごく簡単にお釈迦さまが悟りを開かれた時に行ってみえた呼吸で、お経でもこの呼吸法の教えがあります。それは自然の摂理を知る悟りに繋がる呼吸法です。道を修行する上において大変に重要な意味を持ちます。
丹田及び丹田呼吸法については、この程度の説明に止めますが、中級・上級に行くに従い重要度を増してくる課題であることだけを記憶して置いて頂きたいと思います。またこれは胴造りでも重要なもので、上半身と下半身の接合の仕方の中で重要になります。

(3)左右に分るる如く放つとは?

ここでいつも議論が起きるのは、左右に分るる如くと言う意味と、その力の方向についてです。結論から言えば、左右に分るるとは矢筋の方向即ち安土の的と体を中においてその対称形の位置の仮想の的の方向を言います。ですから真上から見て的に向かって一直線となる訳です。その分れを生み出すには、会において押し手は肩の付け根から肘・手の内を的芯にそして妻手は折り曲げた肘から10cm位の処を的の反対方向に張っている事が重要です。それを胸の中筋から左右に分れる事を言います。その為には肩甲骨を左右に離す様にする事になります。簡単に言えば両肩を矢筋に張る事になります。
多くの誤りは、肩甲骨の中央部を接するようにして、胸を張り、背中の方側に開こうとする事に在ります。これでは押し手・妻手共に前後に開き、左右に分れる様に放す事にはなりません。結果的に振り込みの形になるでしょう。
会において矢筋に張って、離れにおいて矢筋(左右に分れる様に)に放すと残身・残心ではどうなるかと言うと、押し手は角見の働きにより、妻手は肘・手の内の捻りにより拳1つ後ろ下に飛びます。捻りが加わっている分だけ後ろに開きます。
これの意味を考えると、静止している的ですから、的に向かって静かに張っていけば誤差は少なくなります。それに対して肩甲骨を合わせて前後に開く事は、離れの瞬間に弓を後ろに振りながら放す事になり、静止している的に対して狙いを動かしながら矢を放つ事となります。ですから矢筋に張り、左右に分れる如く矢筋に放つ事を教えているのです。非常に合理的な放れを生む為の教えです。

5)後半の部分の補足説明

前半の部分は、前に説明した通りです。ですから多くの方は、射法訓を射の技術的な教えと判断をしていると思います。確かに射術の基本的な考え方を述べたものであるには違いありませんが、実はこの後半の部分に大きな意味が隠されており、重要な部分だと私は想っています。「書に曰く」とは上でも説明しました通り日置流竹林派の流祖の竹林坊如成が残した流派の重要な4冊の伝書です。即ち、初勘の巻・歌知射の巻・中央の巻・父母の巻で、更には奥伝としての勧頂の巻(これは流派での唯一相伝の書)を指しています。
射法訓で出てくる「書に曰く」以降の「鉄石相剋して云々――」は父母の巻から、そして「金体白色西半月の位なり」は中央の巻から引用されています。
前記の通り、流祖の竹林坊如成が真言宗の僧侶であったので、その思想は真言仏教の教えに仮託して説明している部分が多くあり、それだけに単に鉄石相剋とか、金体白色西半月の言葉を説明してもそれは理解出来るものではありません。
ですから、それらは上級編でインド古代思想・仏教思想・大日仏教さらには真言密教の話しを加えながら詳細に説明をしますが、この初級編ではそれらを直接説明するのではなく、それらを通して教えている内容について、別の方向からこれを説明したいと思います。
それは的中の位についてです。仏教思想に基づいてと言いましたが、ここに竹林坊如成の弓道に対する考え方があるのです。即ち、仏陀になる為の修行の道としての考え方がここにあり、当時としては弓術という呼称が一般的であるのにも関わらず、弓道と言う言葉を使っているということです。弓の修行を通して人間としての完成を願うと言う「弓の道」としての在り方です。ですから「鉄石相剋して云々」とは的中の位について説いています。
単に的中をすれば善いと言う弓術ではなく、最高の的中を求める過程を5段階に分けていることです。これは、同じ的中でもより上位の的中を求めて修行する道を残しているのです。では、それらはどのように説明しているのでしょうか?

(1)的中の位の5段階

まず竹林流においては、伝書の中でも「弓術」ではなく「弓道」を目指していることです。真言宗の僧侶の竹林坊如成ですから、的中の術・技ではなく、人間完成に向けての弓の道の思想の上に在る事です。従って、的中の位の考え方が出てくるのです。
どんな方法でも的中すれば善いとか、的中する事が目的であると言う考え方ではありません。単に技術的な的中ではなく、精神性を含めた的中の位を述べています。
的が在る以上は、的中は不可欠で在る事は説明する迄もないでしょう。但し、的中を得る為に基本を逸脱したり、小細工をして的中を求めたとしたならば、どうでしょう??
例えば、前矢が出る癖を持った人が的付けを後ろにして的中を得たとしたら、その人は真理を求めて行動しているという事になるのでしょうか?それは的中の為の方便であるかも知れませんが、自分の技を完成させる為の原因を隠した事にならないでしょうか?
基本の通りに、又は流派の教えの通りに修練をして、射を行うならば必ず的中をする。そんな的中を求めるのが修練です。前矢が出るのは、押手が妻手に対して弱いとか、肩線が狂っているとか、足踏みが正しく無いなどにより、押している力の方向が間違っているか、左右のバランスが狂っているからでしょう。それを狙いを変えたら的中が出来なかった欠陥について真の原因を捉え、修練の課題を見出す事は出来ないでしょう。
更にその的中の仕方に、修練の度合い・修行の程度に応じて違いがあり、それが品を生み、徳を生むと言う考え方に結びつきます。もっと端的に言えば、的中しても卑しい的中もあれば、高雅な的中もあると言う事です。これが弓を通しての人間完成に向けての修練の道としての弓道を目指す竹林坊如成の思想となります。

この部分は四巻の書の第四巻の「父母の巻の第十三」の処に「十二字五位(尾州竹林流では意)」として著されています。その著しかたは???
一に、父母等しければ、子の成長急なり
二に、君臣直ければ、国豊かなり
三に、師弟相生すれば、諸芸長高し
四に、鉄石相剋して、火の出ずる事急なり
五に、晴嵐老木 紅葉散重て冷し
この「父母・君臣・師弟・鉄石・晴嵐老木」の十二字の五つの位です。
ここで「鉄石相剋して火の出ずる事急なり」が出てきます。
この5つの位をもっと平易に説明しますとーー

@ 父母の位:左右の手先同志の釣り合いによってのみで得られる的中です。
A 君臣の位:弓力と体(技)とが一体になって得られる的中です。
B 師弟の位:弓力と体と心の三つが一体になって得られる的中です。
C 鉄石の位:さらにそれが修練されて、軽く冴えた放れにより鉄石が相剋して火の
出るような鋭さの中から生れる的中です。
D 晴嵐老木の位:的中を求めないでも自然と的中が得られる段階です。
修行の極致の位と言えるでしょう。欲が全く無い中で、正しい事も求め
ずとも既に身に付き、それが自然の内に実現される中から生れている的
中で、本人も殊更それを意識したものではないと言う本当の自然の中か
ら生れる的中です。
少し荒っぽい説明で誤解が生れそうですが、ご勘弁戴きたいと思いますが、ほぼこんな風に五段階の的中を理解して戴くと善いでしょう。そこに品・位の違いが出てきます。
ですからこの「鉄石相剋して火の出ずる事急なり」とは大変なレベルの話しでしょう。
私のイメージでは教士6段か7段位の的中の位だと思います。父母の位で4段迄位、君臣の位で5段位、師弟の位では錬士5段位ではないでしょうか?

これらの的中の位は、現在行われている段位の意味でもあります。
審査において初段でも6段でもたった2本の矢を射て審査される意味がここになります。もしも、的中の技の修練度により得られる的中の確実性のみが審査の基準とするならば、審査員は不要となるでしょう。何故ならば的前審判さえ居れば判定出来る事になるからです。ここが弓道の修行の奥の深い処です。3〜5段クラスの審査において、仮令的中しても合格が出ない時が在りますが、この的中の意味・価値が問われているという事です。
更にはここで「すなわち」と言い換えているのは、鉄石の条が書かれている「父母の巻」ではなく「中央の巻 十四 五輪砕(ごりんくだき)と言う事」に書かれている部分の「金体 白色 西 半月」から引用し記述されています。ですから、第一段階としては、教本に示されている様に、残身・残心の様相として理解しておいて下さい。
この部分は前記の通り大変に難しい部分ですので、説明は上級の部で詳細説明します。

(2)筵・布・絹・綾・錦五段の事

皆さんには「的中の五段階の位」の方が関心が深いでしょうから、更に伝書の他の部分に書かれている縦横十文字との関連性について紹介して置きましょう。
此れ迄の処で、的中の位については@からDで具体的に表現してみましたが、実はこれは縦横十文字の構成とも密接な関連を持っていますので、それについて伝書の中から説明をしましょう。
射の格は、胴造り即ち縦横十文字の作り方と弓力ないしは気合・気力との関係が出てくると私は考えています。ですから私は胴造りに対して大変に重要視している所以です。
伝書では、四巻の書 第四巻 「父母の巻 十一 絹綾錦三段の事」です。
それも口伝により二つが加えられています。これにより「筵(むしろ)・布・絹・綾(あや)・錦の五段」となります。何れも縦横の状態すなわち縦糸と横糸の組み合せと考えて下さい。

筵は、むしろは、皆さん良くご承知の稲の茎で編んだ筵ござです。見て分る様に縦糸と横糸が粗く、十文字も曖昧で凸凹が多い十文字になります。稲のほかに材料は・蘭・蒲・藁・竹などで織られており、髭が表面に出ているのもあるでしょう。肌触りも少々悪く、織り目も荒い印象の織物です。布は、縦糸と横糸がほぼ揃い、形の上では十文字が構成されています。
麻・葛などの繊維で織ったもので、筵に比べて表面の髭の出も少なく、洗練されてはいるが、見た目には少しざらざらした感触の織物です。
絹は、縦糸と横糸の太さも一定で、堅さも出てきます。それでいて内面からの輝きが 出て来ます。俗に言う「絹の輝き」です。更に言えば、材料は蚕の繭からとった繊維で、布よりも手触りが滑らかで、織布は肌触りも良く、見た目にも奇麗な印象を与える織物です。
綾は、縦糸も横糸も複数の糸となり、更には斜めの糸も加わり、一層堅牢な十文字 となります。絹よりも堅牢な縦横の組み上げになっている事が理解出来るでしょう。
絹に比べてがっしりとした揺らぎのない印象を見ている者にも与える織物です。
錦は、緞帳などに使われたり、結婚式の花嫁衣装ではないですが絢爛豪華な錦織です。
金銀糸や種々の絵柄を用いて華麗な文様を織り出した織物で、綾に加え更に見ている者に貴重・豪華・華麗・重厚な印象を与える最高級の織物です。

この様に同じ十文字を織物に喩えた教えですが、その縦横の構成には大きな違いが在る事を貴方は理解するでしょう。そしてそれらは足踏み・胴造りの仕方等とも大きな関係を持っています。ここで縦横十文字と射品・射格との関連性を考えてみましょう。

筵の段階では、唯 形の上での縦横十文字だけで、それは不安定で且つ不十分な十文字であるから、丹田にも力が入らないであろうから、どうしても上体に力が宿ってしまい、結局は手先のバランスになってしまうでしょう。
布の段階になってくると、縦糸と横糸も太さ・強さ等がやや揃って来て、どうにか縦横が決って来て弓と体とが一体にした射き方も可能になるでしょう。
但し、この段階では打起し・大三も一皮剥けなければならないでしょう。
大三を取った時に、弓と自分の体が一つになっている事が必要です。 唯 弓力と体力の一致だけで心気の働きに至らないのは、まだ自分自身の骨法に適っていない為に、矢束が僅かに一定していないので、心気が働かないのです。
絹の段階では、縦横のバランスが細かな部分までしっかりとし、更に丹田にも力が入って来て、自分の骨法に無理なく嵌まった形となり、自分に合った只一点での矢束が取れる為に、弓と体が自然な形で、総体のバランスがしっかりと取れてきて、弓と体のバランスだけではなく、詰め合い・伸び合いと言う精神的な働きも加わるから、気合も懸かってくるでしょう。従って、内面からの輝きが体全体の射と精神的な働きにより、一層優雅さを鱒でしょう。これが射品となり射格となります。
綾の位の縦横十文字になると、全身のあらゆる縦横十文字・その他細かな筋骨も正しく働き、汰流(ゆりなが)しの働きにより体のあらゆる部分が均等な力になり、精神力も自然に働き、自ずから気迫が生れる。これは綾の位の縦横斜めに組み上げられた縦横十文字の強靭な組み合せの中から生れるであろう。
錦の位になれば、縦横十文字も然る事ながら、全てが豊富な修練の結果で、完全に昇華されて、自然のものとなる、ごく自然の組み合せに全くの隙がない。無欲の射の中に自然の離れが生れ、自然の的中となろう。射手も射自体を楽しむ心境で、射れば自然に的中する位であろう。

こんな風に的中を得る為の射術ではなく、弓を持って自己を修めるという弓道の思想が、この「的中の位の五段階」として理解して頂くと善いと思います。

これはスポーツ精神とは全く違う次元の処にある、武道精神と言えるでしょう。
勝つ為には手段を選ばないと表現すると聊か厳しいが、例えば的中の為に狙いを替えたり、弓具に細工をしたり、そんな的中の為の努力を嘲笑う様な、武の道としての弓道なのです。

礼記射義にも一部通じる様な内容を持ってきます。
射を通して自己を向上させる弓道の本意がこの「書に曰く」以降の処に示されていると考えています。そしてそれは竹林坊如成が帰依した空海の真言宗の教えに基づいていると思うのです。空海は釈迦が何百年も掛からないと仏陀の位には至らない位の修行の厳しさを説いているのですが、それを「即身成仏」という自分が生きている間に悟りを得るという仏教諸派の中での真言宗の独特の考え方・特徴があるのです。

(3)仏教の基本的な知識

それを知らないと、書に曰くの五輪砕きの思想を理解する事も出来ないでしょう。
五輪砕の思想は、古代インド哲学の五大思想から来ており、私達の身近な処ではお墓にある五輪塔や卒塔婆の形であり思想であり、そこには雄大な宇宙観が語られております。
その中に「金体 白色 西 半月」の意味があります。

仏教と言うと皆さんは直ぐにお釈迦さまを想像するでしょう。
仏教と言う宗教は、キリスト教の様に特定の偉人の思想や哲学ではなく、自然の営みの中の真理を悟った人が仏陀の位であり、その一人がお釈迦さまという考え方です。
ですから真理を求めて、色々な聖人・如来・仏陀が生れます。悟りを得た方が全部仏陀ですから、お釈迦さま独りでは無い事が理解出来ると思います。ですから逆に色々な聖人・如来・菩薩・仏陀の考え方が混同するのですが、真理を求める方法や考え方に違いがあることを意味しています。それは、大きく分けると次の三つの流れになります。
@ 釈迦仏教
A 阿弥陀仏教
B 大日仏教 と分けられるでしょうか?
教えの内容が少しずつ違うので、それを注意してください。
少し危険が伴いますが、ごく大雑把な分類をしてみましょう。
私は仏教に対して門外漢であり、そんな私がどんな風に理解・分類しているかは面白いかも知れません。素人はこんな風に考えていると???私の理解の範囲でそれを仕分けましょう。因みに竹林坊如成の帰依したのはBの大日如来を中心に据えた仏教です。
大日如来とは架空の如来です。

@の釈迦仏教は、人生を苦と定義する処から始まっています。
ですから悟りを得る為の修行は厳しく、その道も遠いと言えるでしょうか?
それは小乗 仏教の世界に一番純粋に残っているのではないでしょうか?
A の阿弥陀如来は、釈迦仏教の厳しさを批判する中から生れたと言えるでしょう。俗世間を捨てて、厳しい修行の中でしか悟りの道に至れないと言う事になれば、庶民の生活は仏教を受け入れる事が出来なくなってしまいます。そんな背景の中で生れた仏教と考える事は出来ないでしょうか?だから他律的な考え方であり、只 南無阿弥陀仏を唱える事により、仏教の教えを理解し、救われようとする事になるのではないでしょうか?
B の大日如来は、面白い考え方だと思います。努力をすれば誰でも悟りを得る可能性を持つと教えます。大日は太陽をイメージしていますが、普通の太陽は光りを注すと、必ず陰を生みますが、その陰を作らない太陽なのです。そしてその宇宙観は金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅で表現しています。
簡単に説明すると上記の様になりましょう。

この仏教の違いを知る手掛かりとして、大日如来に帰依する竹林坊如成の伝書の冒頭に面白い文句がありますので紹介しましょう。魚住文衛先生の「尾州竹林流 四巻の書 講義録」を私流の噛み砕きをして紹介してみましょう。一番初めに出てくるのが
「将に今から弓道を習おうとする人々は、数多くの迷い事や悩み事や量り知れない数多くの罪・汚れをただちに無くさなければなりません。すなわち正しい清らかな心にならなければなりません。今ここで考えてみましょう。自分は一体誰の生まれ変わりなのでしょうか?生れる前の事は知る由もありませんが、天地一円の内に汚れのない道理と知性を本来備えた人間としてこの世に生を享けて生れてきました。人はこの世に生まれ変わる事が約束されている訳ではない。六界の中で人間界に生まれ変われた事、天地一円の内に人として生れた事は幸せであり、天地あます処なく宇宙の全てを我が心に収めておられる大日如来の悟りの様に師匠を仏と考えて信頼し、その弟子となって弓道の理論と実技を勉強すべきでしょう。その心は、丁度自分を仏の家(伽藍)に身を置いて仏に帰依すれ、煩い事や悩み事も無く、命永く何時までも誠の心を以って安住する事が出来るのと同じです。この様に師匠の下で、清らかな心を以って師匠からの教えをうけて射法各般に亙る理論や実技を修行することにより、貴方が弓道の達人になる事は、座ったり寝たりする位に日常的で平易な事でしょう。」
と切り出しています。ここには仏教独自の人間は生れた時には、純粋無垢で素直で正しい心を持って生れてきたと言う性善説の考え方と、仏教では宇宙の世界を「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」「修羅界」「人間界」「天界」の六道界に分けていますが、その世界を輪廻転生と言って死ぬとその何処かに生まれ変わり、その結果この人間界に生れる事が出来た事を喜ぶ考え方が隠されています。そして即身成仏といって、精進さえすれば自分が生きている間に悟りを得て仏陀になることも可能であると教えています。これは大日仏教の考え方そのものです。

その上で、師匠と弟子の成約を交わします。その文面にはーーー
「この体も心も父母から譲られたものである。それは肉体的に剛いといえども、それは自分の力によってそれを得たものではない。また弱いといえどもそれは自分の恥じでもない。筋力に優れた者が弓道の上達に有利な様に考えそうですが、肉体的な強弱による損得などを論じないで修行の仕方・考え方により乗り切ろう、修行は水鉄の様だと言われます。水は水を流すと言います。水は本来和らかなもので方円の器に従うとも言われますが、その和らかな水でも満ち溢れる時には、大きな山でも押し崩す勢いが出るものであるように、弱い骨格の人でも稽古・修行を充分に積み重ねると、和らかい水が大山を押し崩すのと同様に、極めて強い矢勢が出るようになり、その息に達すれば弱い筋骨の人でも剛い筋骨の人に優るであろう。更には鍛えに鍛えた鉄刀は刃金となりヤスリともなって、何も鍛えない鉄を擦(す)り削る力さえも身に付けるでしょう。その心を以って、剛は剛として、弱は弱としながら自分に与えられた応分の力の骨力を旨として師匠の指導により修行をする事です。師匠の恩義に富んだ貴い教えを信じて、剛を羨ましがらず、弱をそしらず、正直(せいちょく)をもっとうとして、流儀の掟と稽古の順序に従って、正しい方法をよく呑み込んで熱心に稽古をする者には、流派の秘伝をも伝授するであろう。逆に親子兄弟等の縁者や親しい友人であったとしても、正しい方法を呑み込まず、流派の教えを学ぼうとしない人や、他流の射法や器用に射る人をみて、すぐにその真似をしたがる者や、不熱心な者にはこの書を相伝してはならない。その事を、入門に当たってここに確認する。」とあります。

ここには、誰でも平等であり、流派の教えを正しく学び、一生懸命に努力を重ねる人には、陰日なたなく万辺に光が届く大日如来の教えの様に、報いられる時が来るであろう。師匠もそんな気持ちで指導もすると言っているのです。自分の勝手な思いと、他流の技との交合により拠り所の無い射技を習おうとする修行の姿勢は駄目だよと戒めています。ここでは、釈迦仏教と違い、師匠(仏)の教えを忠実に守りながら正しい心で修行を続ければ、大日如来の導きにより必ず名人・達人の域(悟り)に到達する事も可能であると教えていることです。ここに如何にも大日如来の仏教の考え方が存在するように思います。

ここまでに説明して来たとおり、この部分がこの射法訓で一番大切な事はここになるのではないかと思うのです。通常は、射法訓が的中を得る為の射の方法について教えていると考えがちですが、確かにその面が強いのですが、深く読むとそれだけではなく、真言の教えに基づく大日如来の仏教の教えの世界に導いているのです。
弓術ではなく弓道を求める心と技を説いています。竹林流 四巻の書に盛り込まれている竹林坊如成の真言密教を背景とした思想に仮託した弓道の教えがあちらこちらに埋め込まれている姿があります。それが「書に曰く」以降の部分から読み取る事が出来るでしょう。

6)最後に

射法訓についても、一生懸命に平易に説明をしようと努力しましたが、どうしても仏教の話しや伝書の中の原本からの引用があり、それを説明するのに苦労をいたしました。
少し読みにくい部分がありますが、その様な意味では仕方がないとお許し戴きたいと思います。
最後に繰り返し述べておきたいのは、射法訓が単に的中の為の技についてのみ書いて有るという誤解を解いて置きたいという事です。そして弓道の修練の目的が的中を得るだけのものでなく、的中にも位があり、より高度な的中を求める過程の中で得る体験により、正しきを求め、精神的な気高さを求めて、日々精進しながら自分を高めていく事が弓を通して人間としての道を成就する本当の弓道の意味があるという事です。
的中を得る為に、狙いを替えたり、会で止まっていて左右の釣り合いでの合わせ離れの様な、姑息な考え方の弓道の求め方ではなく、遠い悠久の将来がある弓の道を求めて戴きたいという事です。
後半の伝書からの引用部分では、弓道というものを本質的に考える必要のあるような深い意味が篭められているという事です。
ですから、少なくとも「十二字五位」の教えの「的中の位」についての意味を充分に理解をしておいて頂きたいという事です。それを理解して頂くだけで、私がこの小冊を纏めて皆様に読んで戴いた意味があると思います。五輪砕の下りは大変に難しいので、大幅に省略しましたが、仏教思想が背景にあるということだけを記憶戴けば善いでしょう。

伝書からの引用の部分や真言仏教の理念に裏付けられた解釈などについて、詳細に理解されたい方は日本国内のパソコンネットワークのNiftyserveの武道フォーラムのライブラリーに私の論文が登録してありますので参照されたいと思います。
礼記射義の解説・射法訓の解説について、夫々A4で45頁の論文を登録してありますので参照戴きたいと思います。NiftyserveでFBUDOで入る事が出来ます。
ダウンロードも自由に出来ます。 以上


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