「礼記射義・射法訓の解説」―春の巻―(初級編)

― 日本の弓道を学ぶ手引き −改定 1998・12・25/1998・02・10

松井 巌教士 6段

〒492-8213 愛知県稲沢市高御堂2-23-6
メ-ル・アドレス:i-matsui@yb3.so-net.ne.jp or BZL15142@nifty.ne.jp


目 次

1 まえがき 3
2 弓道を習うに当たって 3
 1)弓道って何? 3
 2)弓術と弓道 4
 3)欧州の弓道 5
 4)弓道の特徴 6
 5)心を鍛える 7
 6)射技と体配 8
3 弓道とスポーツの違いは? 8
4 弓道で正しさを求めるとは? 10
 1) 和を大切にする心 11
 2) 儒教(じゅきょう)と武士道? 14
5 弓道修練の目標は? 17
6 礼記射義について 18
 1)「礼記」の中の「射義編」 18
 2)礼記射義の意味は? 20
 3)儒教と礼記 20
 4)日本人の生活の中の儒教 21
 5)外国人弓道人の抱いた疑問 23
7 射法訓について 24
8 最後に 27


1 まえがき

日本の弓道の在るべき姿は?
皆さんは弓道場に入って神棚に向かって、手を合わせますね?その隣りの奇麗に額に納まった「礼記射義」と「射法訓」を目にするでしょう。一体どんな教えなのでしょうか?

そこには、日本で育まれた日本弓道の在るべき姿が示されています。鉄砲が戦争で使われるようになってから、弓矢は闘う道具の意味を失いました。しかしながら、武士道の一番真ん中に位置するものに替りました。弓矢の家とは、武士の家を意味します。武士にとっては、自分を高め・社会の頂点に立つ武士が、正しい事と間違っている事を判断する考え方を養う上で、非常に重要なものとなりました。

その芽は既に室町時代からありました。闘いに弓矢が重要な時代からその考え方はありました。更には江戸時代に入り、武士道と共に、その内容を深く・大きなものになりました。その中心にある考え方が、礼記射義であり、射法訓です。

現代のスポーツ化した弓道をもう一度原点に戻し、本来の在り方を見詰めそれを現代に活かしていくのは、これから弓道を学ぶ皆さんの考え方一つにかかっています。日本の伝統的な弓道の意味に立ち返って、これから学ぶ弓道についての心構えを作りそして、しっかりとした考え方の上で弓道を学びましょう。


2 弓道を習うに当たって

1)弓道って何?

弓道を学ぶ一番始めに考えたい事があります。
皆さんは、どんな動機で弓道を始めようと思ったのでしょうか?
袴姿がかっこうがいいから?
お父さん・お母さん又は親戚の人が弓道をやっていたから?
あまりスポーツが得意でないから、部活をするなら皆が初めての種目を?
その他色々な動機・キッカケがあったのでしょう。

そして、実際に弓を持って何を感じましたか?
何を考えましたか?

弓道と言うのは、的に矢を当てて楽しむ事だと思っていた。
それがいざやり始めたら、いきなり的に向かわせて貰えると思ったら、弓の射き方の徒手体操の様な事をやらされ、更には射法八節とか体配(たいはい)とかやたら難しい話ばかり聴かされて、何時までたっても的には向かわせてもらえない。
それも、始めは弓さえも持たせて貰えない。
徒手体操みたいに掛け声と一緒に弓を射くかっこうばかりさせられる。
その次にはゴム弓を引っ張って放す稽古が続くーーー
一体何時になったら的に向かって矢を放ち「ポーン」という快い音を聞く事が出来るようになるのだろう? と一時は悩んでしまった事もあるでしょう。
私も始めはそうでした。

2)弓術と弓道

昔 戦いに使った弓矢だから、要は当れば良いのでしょう??
何が射法八節ですか? 何が体配ですか?
と先生の居ない処で友達同士語り合った事もあるでしょうね?
誰でもそんな疑問を持ちながら始める事でしょう。
誰でもはじめは、同じだから心配しなくても善いよ!!

しかし、私の経験からもその手順を踏んで練習に入らないと、結局は遠回りになってしまうのです。それも多くの先輩が経験してきた事です。
これらは、大変に重要な疑問だと思います。

昔は確かに戦争で弓矢を使った。唯一の飛び道具でもあった。
しかし、鉄砲が戦争に使われる様になって、弓矢は戦争では使っても、意味の無い時代が来てしまった。そうだよね?
敵を倒すには鉄砲の方が、弓矢よりも正確に飛ぶし遠くに飛ぶし、敵を倒すのが目的なら絶対に鉄砲の方が有利だよね? それに大きな音も出て敵をビックリもさせる事が出来るよね? それなのに何故弓道は、今の世の中まで伝わっているのだろうか?
戦いの道具という他にもっと重要な何かがきっとそこにあるのだろう?
「ピンポーン」と言いたい処だね?

何故現代迄伝わってきたのだろう?
鉄砲の時代になってもサムライは弓の練習をしていたのは、何故だろう??
それだけではないからです。
貴方は今日本に伝統的に伝わる日本の武道を習っているのです。

3)欧州の弓道

目を欧州に移してみましょう。
ヨーロッパやアメリカ等では、道場も・先生も・初心者用の道具も、充分な環境が無いにもかかわらず、日本の弓道を一生懸命に学んでいる人達が居ます。
今ヨーロッパには12の国に日本弓道の連盟があるのです。
日本の弓の何処にその魅力があるのでしょうね???
ヨーロッパには、昔からアーチェリーがあります。そうロビンフッドのかっこういいあの西欧の弓があるのです。オリンピックの種目でもあります。
的中を競うなら、アーチェリーの方が余程正確であり、道具も合理的に作られています。
欧州にはそんなに楽しく・伝統的なものを持ちながら、何故彼等は日本の弓道と取り組んでいるのでしょう?

私達が気付いていない日本弓道の素晴らしさを、きっと欧米の人は感じ取っているのです。そうでなければ、とても習う気もおきないでしょう。
では日本の弓道が持っている魅力とは何でしょうか?

自分が今習っている弓道について、もっと別の面からも考えてみる必要がありそうですね?? ある意味では、欧州の人達が取組んでいる弓道への姿勢は、日本人以上だと思います。日本弓道の本質を理解しながら、真剣に取組んでいるのです。
私も1986年からご縁があってオランダの方やイタリアのローマの方たちと一緒に練習をしたり、指導の真似事をしてきました。決して充分な事は出来ていませんが、彼等の熱意と取組み姿勢には心打たれ、自分で出来る範囲の事を精一杯お手伝いをしてきました。
そこから学んだ事は、彼等が日本の弓道をスポーツとしてではなく、日本人の考え方や生活の仕方の元にあるものと考えている様です。礼儀正しく、正しいものを求めて、人目も気にしないで懸命に努力を重ねる日本人の生き方を学ぼうとしているのです。

日本文化を西欧文化と比較しながら、深く・広く研究しながら、日本人以上に真剣に取組んでいる姿です。日本で生れた日本の弓道の本質を捉えて、毎日練習しているのです。
彼等は、日本の弓道が求めている事をよく理解しています。
自分が射た矢が何処に行ったかを見ながら、自分が基本に忠実で正しい弓の射き方になっていたか、的にあてたいと言うやましい心でなかったかとーー
こうして反省を繰り返す中で、正しいものを求める生き方を身に付けようとして、
弓を射いている姿を発見するのです。
彼等は勿論、弓道の究極の理想としての在り方である「礼記射義」「射法訓」の教えもよく理解して練習を重ねているのです。

だから、これから弓道を学ぼうとしている若い日本の皆さんにも、彼等に負けないようにこれらの考え方をよく理解して頑張って貰いたいのです。
日本には欧州と違い、伝統的な弓道の意味や現代社会の中での弓道の在り方等を深く考え信念を持って弓を射いてみえる立派な先生が沢山お見えになるし、勉強しようとすれば、善い本も一杯あります。弓道と関係のある日本文化について勉強する機会も幾らでもあります。だから、欧米の人よりもズッート私達の方が深く・広く学ぶ事が出来るのです。

4)弓道の特徴

では、弓道とは一体どんなものでしょうか?
どんな処に特徴があるのでしょうか?
それを考える時に、先ず思うのは弓には相手が居ない事と、静かに安土に動かないで止まっている的に対して矢を放つと言う事でしょう。これは、相手が居ない・的は動かないという事だから、狙って放した矢が的に当たらなかったと言う事は、その責任は全て自分自身にあると言う厳しい事実があります。技の問題か、心の問題かは別として兎に角全ての責任は自分にある訳です。正しく射れば必ず中(あた)る。しかし中ったからと言って正しく射れたかどうかは別の問題です。正しくなくても中てる事が出来るからです。数学で言う「逆必ずしも、真ならず」です。
これが弓道の一番面白い所でしょう。

現に目の前で射ている先輩の射を見てみようーー
先輩だけあって、形も出来ている。なのに中々中らない。何故だろう?
動かない的に向かって狙って矢を放って、どうして中らないのであろう?
昔の様に馬に乗って走っている敵を狙って中てるという事なら、その難しさは分からん事もないが、そこにあるのは「止まっている的」だよ!!

5)心を鍛える

ここに意味があるのです。
正しく射こうとしても、人に上手に見られたいとか、ここで中てたいとか、何時もよりも上手く射きたいとか、思っているとつい手先に力が入ってしまったり、気持ちだけが先行してしまい、余分な処に力が入ってしまい、正しく射れないので、思う処に矢が飛んでいかないのです。心の問題が非常に微妙に効いているのです。

心を冷静にして、いつも正しい射を求めて矢を射る、そんな気持ちでないといけないのです。自分の実力以上に自分を見せたいとか、ここで良い所を見せようとかの人間の見栄とか、欲望とか、と言う心の作用が、中るべきものを中らなくしてしまうのです。
だから、弓矢が戦闘の武器としての意味が無くなってからも、サムライの社会や、宮廷でも弓が射かれていたのです。

心を錬ると言う意味で、昔から、弓は仏教の座禅に対比させて「立禅(りつぜん)」と言われるのはその事を指しています。ここで私は練るという字に錬ると言う風に糸偏ではなく、金偏で書いたのも金属を鍛える位の難しさを暗示しています。
鍛錬と言いますが、刀を作る時に刃金を鍛え錬る位の真剣さと意気込みが必要となるのです。正しい心掛けで、自分に厳しくして練習をしないと、この「不動の心」は出来上がらないのです。鍛える事にならないのです。
弓道の厳しさから話してしまいましたね?
しかし、厳しいから奥が深く、何処まで修練しても行き着く処が無いくらいに面白いのです。そして弓道を習っている間に自分自身を鍛える事になるのです。
又、弓道の教えを、その侭自分の生活の中での善し悪しの判断基準にしても、立派に学生生活や社会生活そして家庭生活も間違う事無くやって行けるのです。
それが弓道と言うものなのです。

先ほども、的は止まっていると言いました。
それに向かって矢を放すのです。だから、的は自分の心を映す鏡という考え方が出てくるのです。矢の飛んでいった先で、自分の技の拙さや心の使い方の拙さを反省して正しい射を何処までも求めて努力するのです。その努力の過程が人間の心を育て鍛えるのです。
他人の目を誤魔化せても、自分の心まで胡麻化す事は出来ません。
例えば、狙いを変えてでも的中をしようとしたいと言う自分の不純な心と闘い、正しく射かなくても中ってしまったのを、周囲の人は褒めてくれても、自分は正しく射れなかった事を知っているから、そんなお世辞を言ってもらってもうれしくもない。
常に正しい事を求めて自分と闘っているからです。
それが弓道の最大の目標になります。これは、弓道の大変大切な考え方になります。

6)射技と体配

それを体配(たいはい)と言いますが、高段の先生方の体配は何処と無く気品があって美しいと感じるでしょう。そんな先生方もはじめは下手だったんです。
繰り返し繰り返しの修練の結果、あのように美しく出来る様になられたのです。
これが鍛練・修練の大切な所でしょう。
体配と射が一つになって初めて弓道でしょう。
それを、小笠原流では射礼と言い、武射系の流派では体配と呼んだのです。
そして、その立ち居振舞いは中国の儒教の礼法に則って定められているのです。
この様に日本の弓道は、単に的中を競うものとしてではなく、射と一体になった礼法や心を鍛える修練の意味や、正しい事を求め続けてそれを実践する人間を育てるという、戦国時代の弓とは違った形で、宮廷や武家の間に引き継がれてきました。
だから「弓道」なのです。単に中てる技だけを問題とするなら、それは「弓術」でよいわけです。

その考え方の基本にあるのが、礼記射義(らいきしゃぎ)なのです。
礼記射義では「射は仁の道なり。正しきを己に求める。己正しくして而して後発する。発して中らざる時は、則ち 己に勝つ者を怨まず 反って これを己に求めるのみ」と教えています。

3 弓道とスポーツの違いは?

弓道は武道と言われます。時にはスポーツ弓道と言う言葉も聞きます。
では、武道としての弓道とスポーツとしての弓道の考え方の違いは、何処にあるのでしょうか? 野球やサッカー等のスポーツと、武道との違いは何なのでしょう?
西欧で生れたスポーツと決定的に違う考え方が在るのでしょうか?
スポーツの目的は、競う事であり、そして勝つ事です。勝たなければ意味が無いのです。勝つ為に練習をするのです。結果が大切でしょう。勿論正々堂々と勝たなければいけませんがーー
それでも勝つ為には、色々な工夫をします。道具に細工をしたり、どこまでも機械の様に精巧な物に改善されていきます。どんな恰好で射いても構わないでしょう。現にアーチェリー等は、殆ど機械の様に的中を求めてどんどんと道具が改良されて行きました。又左利きの人は審判員の方にお尻を向けて競技しています。勿論狙いには照準器が付いており、矢の飛んでいった先を見ながら照準器を調整する事も自由です。
弓道では、狙いの処に印しを打つ事も違反です。矢を番える処に印しを打つ事も違反です。

その意味では、日本の弓道は結果よりもその過程を大切にします。
的中を求める為に、左右の力を意識的に合わせて放す事も「合わせ離れ」といって卑(いや)しい弓と言われます。足踏みが正しくなくて的中したり、狙いを替えて的中したり、
押し手だけを強く働かせて的中したりするのは、皆卑しい弓と言われてしまいます。
そんな事までして中てたいと思う考え方を持っている人として卑下もするのです。
要するに、的中する為に何をしても良いという考え方ではないのです。

基本通り、正しく射いて、その上で的中する事を求めているのです。
結果を求めて、正しくない射き方で的中を得ると、あの人は結果さえ善ければ、多少ずるい方法でも平気でする人だとか、考え方がせこい人だだなあと思われたりします。
その結果の求め方・考え方が問われるのです。

これは、社会や学校でも一緒でしょう?
人を踏み台にして出世しても誰も褒めてくれないでしょう。自分の不十分さを知らないで、人の弱さばかりを言う人を褒めないでしょう。たとえ成功しても、正しい方法で勝ち得たものでなければ意味がないと考えるのが日本人の考え方の大切な部分です。素晴らしい考え方だと思います。

それともう一つの見方は、スポーツは見る立場の人の事を物凄く意識している事です。
見て楽しいと言う事を大切にしています。
その例が、ハンデキャップをつけて闘ったり、ルールを替えながら、競う度合いを高めて見ていて楽しい様に調整もされます。ゴルフなどでは、技量に応じてハンデキャップを与えます。それにより、技量の違う人も同じレベルで闘えます。
競馬などでは荷物を背負わせてハンデを付けます。ボクシングやレスリング等の重量制もハンデキャップ制の一つでしょう。そして競う楽しさを作り出す為に絶えずルールを変えるのも見る人を楽しませる意味があるのではないでしょうか?
バレーボールや水泳や体操等のルールの改定です。これにより、何時も勝つ人と言うのが少なくなります。誰が勝つか分らないスリルがあります。こうして、見る人・観客を楽しませるという一面もあります。
これに対して武道では、段位別という区分けはあるかもしれません。
しかし、もともと競う事を目的としていない武道では、自分を高め・人格を完成させるという目的を持つ武道でとして見るものを楽しませる必要性もないのです。
ルールを変える事もありません。
一生懸かって到達する目標点が移動したら、それこそ困ります。
道の最終点にある目標が、分かったら修練の方向が一定しません。

だから、昔から武道は人の道であり、武の道として「武道」と呼んでいます。
私達の習っているものも「弓道」と呼んでいるのです。
それは、「弓の道」であり、「弓を通して人間としての道(在るべき姿)を学ぶ」という意味を篭められているのからです。

それは、剣道でも、柔道でも、茶道でも、華道でも、日本の芸道にも共通した考え方としてあるのです。単に的中だけを求めるのであれば、それは戦国時代に使われていた「弓術」で善い訳です。同じ様に「剣術」「柔術」となるのです。

昔から単に的中だけを求める射を「鳥獣の弓」という呼び方もされます。ただ的中すれば善いと言う考え方は、初めからないのです。だから弓道と言う以上は、正しい事を求めて、自分を鍛えるという「道」の意味が必要であり、正しい在るべき姿を求めて努力を続ける事を通して、人間として向上していくと言う考え方がないといけません。それが「弓道」なのです。

スポーツとの比較を余り薄っぺらにする事は誤解を受けますが、スポーツでも素晴らしい選手のフェアープレイには、人間としてあのようでありたいと、思うような感動シーンも一杯在ります。しかし、細かな所で武道とは根本的に違うのです。

4 弓道で正しさを求めるとは?

弓道では、「正しさを己(おのれ)に求める」という考え方をするが、的中と言う結果よりも、正しさを求める姿を一層重要に考えるのは何故でしょう?
どんな方法でも的中すれば善いと言うのではなく、正しく射た結果としてでないと認めないのは何故だろう?
この正しさを求めると言う事についてのこだわりの原因は何だろう?

私達の生活の中でも、「恥じを知りなさい」とか「姑息(こそく)な手段を使うな正々堂々とぶつかれ」とか「小手先の技を使った」等正しくない考え方・方法を使うことを戒めている言葉が色々とあります。
そして、例えば戦国の武将が敵と向かい合って「さあさあー我こそはーー」と名乗りを上げて闘う場面が良くありますが、鉄砲の時代には考えられない話ですよね?
そんな名乗りを上げていたら、その間に鉄砲で撃たれてしまうーー
では、何故そんな名乗りを上げながら闘ったのでしょう?

これには、日本の文化を考える上において、そして日本の社会を考える上において大変に重要な課題があります。一緒に考えてみましょう。

1) 和を大切にする心

その中心には、自分に恥じないとか、家名に恥じないとか、一族郎党に恥じないという名誉と関連した部分もあるでしょう。正々堂々と闘った武士の姿があります。
又 射の動作が体配と一体になっていることや、一緒に立ちに入った人達との間で調和を保ちながら行射をするという「和」を非常に大切にする考え方があります。
射礼の場合には、道場という空間で一番調和の取れた処に位置を占めて、丁度禅寺の石庭のように、在るべくして在る位置そこでないと全体のバランスが崩れると言う位置に人は移動しながら行射をします。
これが「場の掌握」と言い、又 行射をする人達が時間的にも、よく調和をして動作をしなければなりません。これが「間合い」です。ではこれらの「調和」とか、「間合い」等という考え方は、どこから来ているのでしょうか?
何故弓道の中でそれ程迄に大切に扱われるのでしょうか?

そして「間合い」「気合い」「息合い」など、「合う」と言う言葉を多く使うのはどんな意味を持っているのでしょうか?
これらの事を、日本の自然の環境とその中での人間の生活・間柄から考えてみましょうか?実は、これは弓道の本質を考えるのに、物凄く大切な事が隠されているので、じっくりと考えてみたいと思います。

先ずは、日本の地形から考えてみましょう。

日本の地形が、生活習慣の「協調」や「調和」や「和」という考え方に深い関係を持っているのですが、皆さんは考えた事があるでしょう?
これは、ヨーロッパやアメリカや中国等の陸続きの大陸の人達とは大変に違った文化を残していますので、ここから説明に入りたいと思います。

日本は、高い山に囲まれて、素晴らしい景観の国土を持っている事はご存知でしょう。自然とは言え、世界に誇りに思えるでしょう。それに複雑な海岸線もーーそして山があれば、その裾野には川が出来るのも当然ですよね??水は低い処を探して流れていくのですからーーそうすると山と川によって地域が区切られるのも当然の事ですよね?

そこで考えて見てください。昔々の大昔に帰って見ましょう。
道路や橋や船や車やそんなものが何もなかった時代をーーそこに住んでいる人たちは、生活の為に移動出来る距離はたかが知れているでしょう。山を乗り越えてとか、勢いの早い川を渡っての移動は出来ませんよね?特に、子供やお年寄りはできませんよね!

それに日本は温暖で水も豊かですから、植物も旺盛に生育しており、山の幸・海の幸等の自然の食糧に恵まれています。だから慎ましく自然と協調して生活している限りは、移動をする必要も無いという事も言えるでしょう。
人間は自然の懐に抱かれて生きているという考え方もここから生れます。
私達の祖先の日本人は、この様に昔から山川に囲まれた自然の豊かな土地に住んできました。山川に囲まれている。そしてその外は海に囲まれている。
その中で肩を寄せ合いながら、助け合いながら生活をしてきました。皆が協力をしながら、一緒に生活をしてきたのです。

今の時代の様に皆が自由だ、平等だと勝手気侭な事を言って、自分を中心に考えて、自分の好きなような生き方をしていたら、住んで行けないのです。皆が両手を広げたら国土の狭い日本では直ぐにぶつかってしまうのです。自由だ平等だと言う考え方は、広い土地に住んでいる人達の考え方ではないでしょうか?
狭い国土で、人間が住んでいるのは、わずかに国土の数%の非常に狭いスペースに密集して生活しているのですからーー狭い山の裾野や、ほんの僅かな平らな土地に、人間は密集して住んでいたのです。狭いスペースだから、お互いに我慢をし合って、隣りの人と仲良くしながら苦楽を共にして生活をしてきたのです。
これだけで、「協調」・「調和」・「和」を大切にする日本人の生活習慣を理解する事が出来るでしょう。
更には、保存が効き・栄養価の高い食糧として、中国から米が入ってきて、これを日本の気象に適合するように長い年月を掛けて、日本のお米を作りあげてきました。
稲作農業を中心に生活をした生活をしてきました。お米は、保存が効き・栄養価が非常に高い食糧で、湿度が高くて、太陽の光りが豊かな日本の気象に良くあった植物で在る事も影響しているでしょう。
弥生時代以降日本人は、お米とは切っても切れない縁となりました。
江戸時代などはサムライのお給料はお米の量で表わしていたのです。
10万石の大名とか、60万石の大大名とか、これはお米の量です。
貨幣ではなく、お米で支払っていたのです。それでも分るように、お米を主食にしながら植物や魚介類や動物を副食物として生きてきました。

水田稲作は、土地に密着して作物を得ます。人が移動をして獲物を求めて動く大陸の生活とは違います。良い水田にする事によって収穫が違うのです。それに日本の気象では、少しでも手を抜くと雑草が物凄い勢いで生育するのです。ですから日本人は水田を大切にしてきました。
「一所懸命」と言う言葉がありますが、読んで字の如く「一所(ひとところ)に命を懸(か)ける」その位大切に水田を考えてきたのです。手を抜いたら水田は直ぐに荒れ果てて、稲が育たなくなるのです。
だから昔から、人は土地に定着して移動しないと言うのが、日本人の生活になっています。それは、多くの山川に囲まれて、人が容易に移動出来ないと言う先に上げた問題とも関連してきます。移動しない所で人間が仲良く生活していくには、色々な生活の中のルールが必要です。だから、日本の社会では「調和」「協調」という「和」「仲良く」という考え方が無いと、生きていけなかったのです。

「結果だけ善ければ、どんな方法を取っても良い」とか
「自分だけよければ良い」というような考え方は、間違っているという考え方を生活の中で身に付けていました。他人に「後ろ指」をさされない生き方とでも言いましょうか? 人に恥じる事のない生き方とでも言いましょうか?
社会のルールに合わない形で、成功しても何も評価されません。否 それは評価の対象にはならないでしょう。人として在るべき姿に基づいて得た成果であれば、評価されるのです。

こんな日本の社会の中で一番重要視されているのが、姑息(こそく)な手や小手先(こてさき)の手段を使って成功するよりも、誰が見ても「ウーン」と言うような正々堂々とした行動が、取れる事を生きる考え方としてきました。
正しい事が出来る自分を造り上げる事の方が、大切であると言う考え方です。
そんな社会の要求が、弓道の道の考え方を支えているのです。

ちょっと遠回りしましたが、弓道が私達の生活とどんな関わりを持っているかを真剣に考えて欲しかったから敢えて遠回りをして説明してみました。

2) 儒教(じゅきょう)と武士道?

それを別の面から説明しましょう。
日本の歴史の中での武士道と結び付て考えてみたいと思います。
武道は武の道であり、武士道は武士の道です。江戸時代に「士農工商」の身分制度の中で人を殺傷(さっしょう)する刀と言う武器を持つ事が許された唯一の階級のサムライ、そして社会の最上級の位置にあり、社会の中で見本にならなければならないのがサムライと言う階級でした。
人間として在るべき姿を身を持って示さなければ、サムライの社会は内部から崩壊(ほうかい)していきます。そんな中から生れたのが武士道でしょう。
武士としての在るべき道としての武士道です。

武士としての誇りと責任を持って生きていくサムライの社会の中に武士道があります。それを武道を通して身に付けたのです。武の道です。武士としての道です。
人を殺傷する刀を持って、勝手気侭に行動されては堪りません。
元々体力に優れた人が闘うのですから、サムライは体力が無くては勤まりません。
そんなサムライ集団には、当然サムライとしての「在るべき姿」を教育して、武家社会を運営していきました。
その為に江戸時代には、儒教(じゅきょう)の一派である「朱子学(しゅしがく)」が
幕府のサムライ階級への教育の目玉でした。
映画やテレビの時代劇で小さな子供が、お師匠さんや親の前で「子(し)のたまわくーー」とか「子(し)いわくーー」と大声上げて勉強している光景がありますが、ここで学んでいるのが儒教です。
儒教は、社会の中での人間の在り方・個人としての在り方の在るべき姿をまとめたものといえるでしょうか?

中国では紀元前500年頃に孔子(こうし)という偉い人がまとめた考え方です。
そして中国では、約2500年の長い年月の間、国のルールとして則ち国教として定められ使われてきました。国家の・地域社会の・個人の生活の正しい事と間違っている事の判断の物差しとして運用されてきたのです。

儒教は、日本に西暦500年位に紹介されて、以後神道や仏教と棲(す)み分けしながら社会の中でのルールとして、日本流に内容を一部替えて運用されてきました。
それも例えば、大和王朝の時代や、奈良時代の未だ文化が発達していなかった当時の日本は中国や朝鮮半島の文化をドンドンと取り込んで日本の文化文明や、政治の組織・ルールなどを取り込んできました。その為に、頭の良い人を中国の唐や隋に派遣して文化の導入を図りました。歴史で習う遣唐使(けんとうし)や遣随使(けんずいし)です。

しかし受け入れる中国では、儒教が全てですから、儒教が分からないと当時の先進国の中国との交流も出来なかったのは当然です。儒教による、礼儀作法や手順を知らなければ、野蛮人だとか言われてしまうのです。服装にしても、言葉にしても、書類の書き方のフォームにしても、お役人に面会して事を進めるに当っても、全てが儒教の方法にのっとって行わなければ素晴らしい文化も紹介されないことになります。
日本でも宮廷では、射・儒教が大変に重要視されたのはこんな理由からです。
礼記(らいき)は、儒教の教えの中でも「礼の在り方」について書いた重要な本です。
礼と言えば、人に逢った時の挨拶程度にしか考えないかも知れませんが、そんな表面的な、狭いものではありません。もっともっと広く深い所まで体系化されたものです。

皇帝がされる儀式から庶民の間での冠婚葬祭から日常の礼儀作法迄を含んだ、膨大な礼の形が決められているのです。その為には、礼とはどんな考え方の中で様式化されているかの「考え方」の理解が大切です。

これは礼記射義でも、弓道における礼が、道場の中での体配だけと思ったらいけないという事を言いたいのです。

話を武士道に戻しましょう。
サムライの子供が、意味も分らない侭に大声を上げて、儒教を学ぶ意味は何処にあったのでしょう。多分、お師匠さんである先生や父親・おじいちゃんに、その意味をかみくだいて教わったのでしょう。その目的とする所は??
何が悪くて、何が正しいか、人間としてどう考えねばならないかの「正邪(せいじゃ)の判断基準」を教わる事だからです。それは、武家社会でのサムライの社会での「立場」から来ているのでしょう。武芸の修練に入る12歳よりも、もっともっと小さな年齢の頃にこの儒教を通して、人としてして善い事と、悪い事を教わっている事です。
正しい事と正しく無い事を習ってから、武芸を学ぶのです。そして、元服して刀を腰に差すのです。
考えても見てください。
人を殺傷する刀を持って、自分の都合だけで刀を振り回されては市民は適いません。
「気違いに刃物」という言葉がありますが、そんな物騒な状態であったら社会は秩序を保たれず、たちまちのうちに混乱に陥るでしょう。
何せ社会の一番上に入るのがサムライであり、権力を持っているのです。そして腰には両刀を差しているのです。
こうしてサムライの子供は、小さな頃から人間として正しい在り方と、正しくない在り方をしっかりと教育をされ、先ず考え方の中で正邪の判断を身に付け、その上で武芸を習い、刀を差したと言う事です。このようにして武家社会は維持されていきました。

「破邪顕正(はじゃけんしょう)」と言う言葉がありますが、正しくない邪(よこしま)な事を打ち破り、正しい事を顕(あらわ)すという意味です。
武士道の基本の考え方です。
これが世界でも日本の文化の中で武士道が、高く評価されている所以(ゆえん)だと思います。自分を律することが、道徳・倫理の上で大変重要で在る事です。
* 弓の練習を通して、正しい事を学ぶ。
* 剣の修練を通して正しい事を学ぶ。
これが武道であり、武士道であったのです。
こんな風に、武士道は儒教と深い関わりを持って、育ってきました。
礼記は、儒教の中での礼儀作法について決められ守られてきたものです。
その中に、射をする時になされなければならない事として、礼記射義があるのです。
義とは正義とか、義理等のように在るべき姿を意味します。
射の中でなさねばならない礼儀作法が礼記射義の意味です。

先に書いた日本の自然環境と、時代が下がりますが武家社会に入ってから纏まった武士道との間には、こんな密接な考え方で繋がっているのです。
山川に囲まれて移動が出来ない地形の中に住んでいる日本人です。
和を重んじ、他人に迷惑の掛からない様に小さな頃から躾(しつけ)、その中で正邪の判断を養い、正しい事を求めて、自律的に行動出来る人を作る事が、必要な自然環境と言えるでしょう。
そこには、何でも勝てば善いと言うのではなく、誰でも納得出来る正しい方法で勝つ事を要求します。そんな文化が日本と言う国土の中から要求されていたのです。

弓道で言う正しいとは、
* 礼儀作法に則った立ち居振舞い
* 先生や先輩・同輩・後輩との正しい人間関係
* そして基本に即した射という事になるのでしょうか?

5 弓道修練の目標は?

今迄のべた様な、自然環境・社会環境の中で、弓の修練を通して人を作るという弓道の目的に対して、昔から色々な教え・目標が掲げられてきました。
現代においては、全日本弓道連盟が弓道人を組織化して弓道教本を定め、その基本や考え方・射技の道しるべを与えています。弓道教本を開いて下さい。
見開きにこの表題の「礼記射義」「射法訓」が掲載されています。教本の中には、それぞれの説明が詳細になされていますので、お読み頂きたいと思います。しかし、この二つの教えはここに説明されている以上の深い意味を持っていることを一緒に考えてみましょう。

正しい道を歩む為の道しるべには、それなりの教えが必要です。
それが「礼記射義」であり、「射法訓」なのです。
初心の皆さんには、その大枠の考え方を理解戴けば善いでしょう。

この私のシリーズでも
「春の巻」「夏の巻」「秋の巻」とチョットお洒落な副題を付けてみました。

「春の巻」とは、若芽の春です。
希望を持って修練に入った皆さんに読んで貰おうと考えてみました。
まあ初心者から3段迄位の人を対象としたものと考えて頂いても結構です。
弓道の基本を作る時期に考えて頂くレベルです。

「夏の巻」は、成長の夏です。
多くの雨とさんさんと降り注ぐ太陽の光りの中で、どんどんと成長する時期を想定しました。弓道の本質をわきまえて、ドンドンと修練し、その魂を自分で体得し鍛える時期です。4段から5段位のレベルでしょうか?

「秋の巻」は、実りと次の時代への種を残す秋です。
自分なりの厳しい弓道の修練を通して、人生の実りを得ると共に、その体験に基づいて次の世代の人達を正しく導く役割も担っていくレベルの人を対象と考えてみました。
錬士以上の方に勉強して欲しいレベルに纏めてみました。

勿論、これは私の勝手なくくり方ですから、興味のある方は段位に関係無く、経験年数に関係なく、上のテキストを読み進んでいき、それを練習に活かして下されば結構です。

礼記射義・射法訓についても、夫々の深さ・高さに応じて、解説の程度もレベルを上げてあります。その位、深い意味が隠されていると考えて頂きたいのです。
教本に書かれているのは、そのほんの麓の説明と考えて戴きたいのです。

6 礼記射義について

長いイントロになってしまいました。ようやく本番の課題に到達しました。
私は、単に礼記射義や射法訓の説明をしても、表面的な言葉を理解するだけに終って、中途半端な知識をもたれる事をおそれたからです。
読者に皆さんは、今迄の事を頭に置いてこれからの本題を考えて下さい。

1)「礼記」の中の「射義編」

「礼記射義」には、弓道をする時の礼儀作法と弓道の在るべき姿についての考え方を述べています。教本に書かれているのはほんの数行ですが、元は前にも紹介した通り、孔子(こうし)と言う人の教えを纏めた儒教(じゅきょう)の中の「礼記(らいき)」という色々な礼について求めた本の中にあります。
その本は、全体で49編にわたりまとめられており、その46番目に弓を射る時の礼儀作法について書かれた「射義編」と言う章があります。その冒頭の部分と最後の部分から取って纏められているのが、教本に掲載されている「礼記射義」です。
ですから、射義編の背景には当然「礼記」全体があるのです。礼記の中の射義編なのですから・・・

出典の射義編ではどんな事が書かれているかと言いますと、先ず射の色々な形態・射会について説明しています。それらは、大射(たいしゃ)・燕射(えんしゃ)・郷射(ごうしゃ)等です。
それらは、皇帝が中央の役人を集めて行う射会であり、中央の役人が地方の役人を集めて行う射会であり、また地方のお役人が地域の名士を集めて行う射会等です。

それは、単なる弓を射るだけの射会ではなく、射会にに先立って酒宴が執り行われますがその酒宴の目的は、君臣の義(くんしんのぎ)・長幼の序(ちょうようのじょ)等の、人間関係や社会での間柄の確認が礼儀作法にかなっているかどうかを確認しあいます。
忠誠を誓ったり、上下の関係を確認しあったりする訳です。
その後に引き続いて弓を射るのです。
だから酒宴があるからと喜んではいけません。
現代で言うならば、大射は天皇陛下か総理大臣の主宰される晩餐会(ばんさんかい)に出席することであり、郷射は県知事か市長さんの主催する晩餐会に出席するような話です。ですから参加者にとっては、それは晴れの舞台でもあり、また役人として適切かどうかを判断される勤務評定の場でもあるのです。
礼儀作法に外れた行為をすれば、直ぐに首が飛びます。左遷(させん)が待っています。
その酒宴の間に社会の中での間柄やその礼儀作法を確認した上で射会に移ります。
ですから、その射会は当然礼儀作法に定められた通りに行われなければならないし、射自体についても正しきを自分に求める様な射を行わないと、役人として適切ではないと判断される事になります。

ですから、本文では
故に、射は進退周旋 必ず礼に中りーーと「故に」から始まっているのです。
意外に、礼記の射義編でこの「故に・・」で始まっている事を知らない人が多いし、なぜ「故に・・」で始まっているかの理由を知らない人が多いのです。

国を治める人は、私欲もなく公明正大でなければなりませんし、何時も正しい事と照らし合わせて判断をして行かないと、市民生活は大変に混乱してしまいます。
だから、射会で礼儀作法や正しい事を求めている人かどうかがチェックされるのです。

前の章でも説明しましたように、射は的中を競うものではなく、正しい事を求めて自分を反省し、自分を高めるものであり、社会の上位の方の前で射るという事は、基本に忠実で、礼儀作法にかなった射をする自分をご披露しなければならないのです。
射はその人の人柄や考え方を現すと言います。
静止している的を射るという事はそう言う厳しいものがあります。
射は「観徳(かんとく)の器(き)」と言われる様に、射を見ているとその人が本当に自分に厳しく正しいことを、自分に求めて弓を射いているかどうか判断できるからです。
お酒を飲んで、美味しいものを戴いてご機嫌になっている事など考えられません。
ですから礼記にはお酒を飲んで弓を射たとか、競って負けた時には罰盃を呑んだという文章から、弓はお酒を飲みながら楽しく射るのが本当だなんて説明する人がありますが、それはとんでもない大変な誤りです。勤務評定の場にお酒を呑んで、いつ失礼な振る舞いをするような状況で参加できますか?
それに剣道や柔道でお酒を呑みながら、試合が出来ますか?

2)礼記射義の意味は?

「礼記射義」の意味は、教本にも説明されている様に
「射は立ち居振舞いの全てにおいて、必ず礼に則って行い、心構えは正しく清く、服装には乱れはなく、細かな処に気配りをしながら、その上で弓矢を取る。細かな処まで注意深く気配りしながら、正しい心で・基本に忠実に射て、その結果的中を得た時に、初めて中ったと言う。射は人柄・人徳を観る神聖なる手段です。射は、人としての最高を求めての道です。だから射は正しきを自分に求めるのです。自分が正しく射た積もりでも、それで的中を得る事が出来ない場合には、自分に勝った人を怨(うら)むことなく、的中を得なかった自分自身の心や射技を反省しなければならない。こうして正しい事が自然に出来るような自分自身を作るように、自分自身を鍛えなければならない」と言うような意味になります。

3)儒教と礼記

ここで礼記のもとになっている「儒教」の事について詳細に説明をするといいのですが、紙数がないのでごく簡単に書きたいと思います。
まず儒教というのは、今から2500年位前の紀元前500年頃の中国の思想家の孔子(こうし)という人の思想で、人間の在るべき姿・社会の在るべき姿を求め、それをお弟子さんと一緒に行動した人です。特に孔子が生きた時代は、社会が乱れていた時代でもあり、その時代のずーっと前の時代の西周(せいしゅう)の皇帝の政治を模範として政治は徳で治めるという考え方を打ち立てました。だから「徳治(とくじ)主義」と言われます。人徳・人柄等がその中心にあり、その中から人はどう在るべきかを考え、社会はどう在るべきかを考えていきました。孔子の考え方の中には重要な考え方が沢山ありますが、その中の一つ二つを紹介しましょう。

先ず第一には、五常(ごじょう)です。
「仁・義・礼・智・信」にようやくされる人間誰でも、いつでも行わないといけない事として定めている内容です。礼記射義の短い文章の中にも、「射は進退周旋必ず礼に中り・・・・・・・・射は仁の道なり」と言い、表題に礼記射義とあります。
この短い文章の中には、五常の内の礼・仁・義の三つが既に出てきます。

仁とは人の理想の姿です。その基本は他人を思い遣るという考え方です。
礼は礼儀作法です。義は在るべき姿です。勿論、仁義礼智信などは
こんなに簡単に説明出来るものではなく、もっともっと深い考え方があります。
その他に、社会の中での人間関係について規定している「五倫(ごりん)」の考え方があります。これは、上下の関係・親子の関係・夫婦の関係・友達同士の関係・師弟の関係などが決められているものです。その外にも膨大(ぼうだい)な考え方があります。

これらの色々な儒教の考え方について具体例として書かれたものに、論語(ろんご)という書物が在ります。これは、弟子との間でやりとりされた問答が書かれたものであり、孔子の基本的な考え方が随所に述べられており、大切な書物です。
前に紹介した時代劇での子供が先生の前で読んでいる「子(し)いわくーー」則ち「孔子先生がおっしゃるにはーー」という文章です。
儒教は、中国では2000年以上にわたり国教として定めて運用されてきました。
ですから中国の人にとっては常識中の常識であり、政治をする人や、中央・地方の役人の共通の考え方になっていました。役人の登用試験は科挙(かきょ)と言って儒教が試験科目になっているのですから、個人・社会においてのやっていい事・悪い事の基準はすべてここから出発していました。当時、最も文化の進んでいた中国から、東南アジア全体に広がり、日本においても重要な考え方として社会制度や家庭の中に浸透しました。
今でも韓国や台湾などでは日常生活のすみずみに浸透しています。

4)日本人の生活の中の儒教

日本には、西暦500年頃に紹介され、聖徳太子の十七条憲法始め色々な処で出てきます。武士道も儒教の考え方無しでは理解出来ないでしょうし、色々な礼儀作法等も礼記なしでは考えられません。この様に、長年にわたり日本の文化の中に大きな影響を与えています。
特に、日本が先進国の中国や朝鮮から新しい文化を取入れる為に、多くの学僧を送り込んでこれらの吸収に努力しましたが、その時の中国や朝鮮の役人とのやりとりは全て「儒教」のルールにのっとって行わなければ、野蛮人扱いされて会っても貰えない事になります。ですから、日本の宮廷の中でも儒教のルールに基づいた色々なルールが行われていました。そんな中に、最澄や弘法大師の仏教の導入もあり、その他の人達による色々な文化の取り込みがあるのです。

儒教はこの様に大陸とのパイプに絶対に必要な作法であり、常識であったので、天皇を中心とした宮廷では非常に大切なものでした。時代が下って天皇の時代からサムライの時代になっても、儒教は大切にされました。
特に、武家社会が完成する江戸時代にはサムライの必須科目として、儒教の一派の「朱子学」を徳川幕府の正式な教科とし、それらは寺子屋等をとおして国民に深く浸透していました。仏教は人間の生死を、儒教は社会の中での人間の在り方を教えていると考えても善いでしょう。
勿論現代の社会の中でも頻繁に出てきます。
第二次世界大戦迄の約1500年間にわたり、日本人の社会の中でも善し悪しの判断基準でもあったのですから。私が、儒教の素晴らしさを感じるのは、1500年から2000年の間にそれを実際に個人として社会のルールとして長い年月を実践してきたと言う事です。当然長い間には不自然な部分は改善され、取り除かれたでしょう。
そして善いものが沢山残った形で現代まで継続されてきているのです。
それだけに価値があるものであると言う事です。

考えても見てください。
礼記射義一つ考えても、これが2500年前の人の言葉かと考え込んでしまいます。
弓道人だけでなく、人間に取っての永遠の理想を提示しているように思えます。
2500年間という時間の経過を何も感じさせない位に新鮮な言葉として、私達の前にあるのです。だとしたら、人間の進歩って何だろう?と考え込んでしまいます。
礼を道場の中で、先生や先輩に頭を下げるという事だけではないのです。
心が伴わないと礼にはならないのです。
そして、色々な人間関係の中での約束事が分かっていないと礼にならないのです。
道場への出入りにも礼をしなければ、先生にご指導お願いしますと言う礼も出来なければ教えてもらって有り難うとも言えない人が余りにも多いですよね??
教えてもらうのが当然と考えているのでしょうか?
先生方は別にお給料を貰っているわけでもないですよね??
それに教える立場から言えば、長年の経験の中で体得してきたものを、そう易々とおしえられますか!!とも言いたいですね!!
まして折角教えて上げた事を実行しようとしないとか、ろくすっぽやっても見ないで、他の先生に同じ事を教わっている姿を見掛けます。これなどは、先生に対して大変に失礼な話ですよーー昔ならば即刻破門でしょうね?

今の道場では、礼について教えてくれる先生が大変に少ないのが惜しまれます。
自由平等を叫ばれる時代であり、親と子供、先生と生徒、それらの関係が非常におかしくなってしまっています。もっともっと他人の経験・体験を教わる事に対して、尊敬と共に神経を使わないといけないと思いますよーー
礼の意味をご存知ない先生も多いのですからーー
せめて、礼記射義を良く読んで底に流れている考え方を理解してほしいと思います。
指導を受ける皆さんには、教わる事を当たり前と考えない事!
資料等を戴いた時には必ず自分なりに読んだ感想や質問を投げかける様にして下さい。
貰ったものは自分のもの、教わった物は自分のものと、自分を中心にしか考えられないのですねーーそうではなく、教える人、資料を作った人の苦労を考えてみたら、それは礼儀作法の一部ですよーーー

5)外国人弓道人の抱いた疑問

弓道場の中での礼儀作法について、こんな経験があります。紹介しましょう。
オランダの弓道人を案内してある道場で一緒に練習をさせてもらいました。練習が終わって家に着いた途端に猛烈な質問攻めにあいました。非常に耳の痛い話ですが、敢えて紹介しましょう。

1)普段の服装の上に道着を着て、帯を締めて練習している。あれは、外体直くしてですか?中には普段着の侭で練習している。あれは弓道ですか? 称号者の方も普段着で練習している。
弓道場の中での服装はどうあるべきでしょうか?中には足袋を履かないで靴下の侭の人がいますが道場を汚さないでしょうか?

2)矢取りに行く時の道場から草履を履くのに、足が違っていた。
下座の足から出ていないが、あれはどんな意味なのでしょうか?

3)矢取りに行く時に、ゆがけを差した侭行く人があるが道具を扱う礼が身に付いていないのではないでしょうか?
私達はゆがけを必ず外して矢取りに行きます。
ゆがけを差すという事は、真剣に練習をするという意思表示をしている時でしょ う? ゆがけを差した侭で弓の練習以外の事をする事は考えられません。

4) 安土での矢の抜きかたが非常に雑であり、矢を真っ直ぐに抜くという癖が付いて
いるとは思えない。あれで粗相があったら、どうするのでしょうか?
オランダの様に寒い処では安土も凍てついている可能性があり、矢は真っ直ぐに抜く事は当たり前となっています。粗相を起こさない為です。
これは矢取りの礼儀ではないでしょうか?

5)道場で練習時間中にお菓子が出るのは、どんな意味でしょうか?
お菓子を食べながら真剣な練習が出来るのですか??

こんな風に、欧米の弓道関係者は私達日本人の弓道を練習している姿の細かな点を見ています。そしてそれらが日本弓道の一番重要な礼儀作法と言う面から見守っています。
武道が「礼に始まり、礼に終わる」と言うのであれば、もっともっと礼儀作法に対して厳しくあるべきではないでしょうか?

その一番底辺の処にこの礼記射義の教えがあるのです。考えなければならない事ですね!!
弓道の国際化を叫ばれる今こそ、日本人として、弓道人として自分を戒め、形だけの礼でなく、心の伴った礼を身に付けたいと思います。


7 射法訓について

射法訓は、その名の通り射を行う方法についての教えです。
吉見順正という人は、三十三間堂の通し矢で、大記録を打ち立てた和佐大八郎の先生です。流派は、紀州竹林流です。
私が習っている流派は、尾州竹林流ですから同じ流れから分派している兄弟流派です。
竹林流は、日置流七派の一つで、竹林坊如成と言う真言宗のお坊さんが確立した流派であり、真言宗の教えを大変に大きく受けています。
伝書の中には、弘法大師の逸話や教えを借りての説明が多く残されています。
室町時代に出来た流派ですが、この時代に既に「弓道」という言葉を使っています。
それだけに、単に「射を行う方法の教え」と理解するのは問題があるでしょう。

射法訓の前半の部分は射を行う方法そのものについての教えと考えれば善いのですが、
最後の三行は、弓道を通して到達する世界を述べていると私は理解しています。
ですからこれは射を行う方法だけでなく、考え方・取組み方に至るまでの深い内容を持っていると言えるでしょう。しかし、この春の巻を読む段階の方には漠然とそんな事も隠されている重要な教えと言う程度の理解に留めておいて、前半の射法についての教えを重点に説明した方が善いでしょう。そしてもっと深い所を理解したいと思った時には、夏の巻を読んで見てください。

先ずは、左右の力のバランスについての考え方です。
妻手の折り曲げた形と、押手の伸ばした形では力の出方が違うので、伸ばしている押手を2/3、折り曲げた妻手を2/3のバランスで考えなさいと教えています。
そして的中は押手にあると言う事でしょう。
私も押手は、船の舵だと思っています。押手がしっかりとしていないと狙いも動きますし、矢の勢いも出てきません。弓を始めたばかりの頃は、どうしても弓は引くものだと考えますし、確かに引く事自体が大変に難しい事も経験するから、妻手の方に重点が行くのはよく分ります。ましてや上手く放せないから、余計に妻手が中心だと思ってしまうのです。しかし、少しコツを教わると妻手は引くと言うよりも、降ろしてくるだけと言う感じになるのです。
そして次に大切な事は押手は妻手を思い、妻手は押手を思うと言う間柄です。
初心の間は、どうしても押手を決めておいて妻手だけで引くという事をやりますが、これは駄目なのです。だから、射法訓では
押手2/3弦を押し、妻手1/3弓を引きと書いているのです。
押手は弦を押し、妻手は弓を引くと書いてそれを教えています。
普通は、押手は弓を押し、妻手は弦を引く訳でしょ??射法訓の日本語がおかしいと感じた人が居ると思いますが、おかしくないのです。押手は妻手を気遣い、妻手は押手を気遣う事を教えているのです。

竹林流の教歌にこんな歌があります。
「剛(ごう)は父 繋(かけ)は母なり 矢は子なり 片思ひして 矢は育つまじ」
剛と言うのは押手の事です。繋はゆがけを挿している妻手の事です。
そして押手はお父さんで、妻手はお母さんです。お父さんが中心にならないといけないのです。そして押手と妻手の間すなわち父母の間にあるのが矢であり子供です。夫婦はお互いに愛し合い・思い遣り合っていないといけないのです。片思いではいけないと教えています。そうしないと立派な子供に成長しませんよーーすなわち良い矢は生れませんよ・・矢飛びが早く、正確に的に届く矢がーーと言う意味です。
ここにもう一つ隠されている事があります。
それは繋ぐと書いて「かけ」と呼ばせている事です。
これは弦とゆがけは繋いでいるだけで力が入っていてはいけないと教えています。
どうしても初心の内は大三を作る時や、引き分けで矢が落ちるので、矢を握り込んでしまいます。だから手先に力が入ってしまいます。これはいけないよと教える為に、繋ぐと言う字を充てているのです。ゆがけは、単に弦と自分の手の内を単に繋ぐだけで、力を入れていてはいけないと教えているのです。
昔の伝書には、こういった文字を替えて隠して教える所が非常に多くあります。それがまた面白いし、楽しいのですがーーーそれぞれの流派の秘密の技や教えが他に漏れないように、師匠の説明で初めて理解出来るように、わざと漢字を充てて残しているのです。

このようにして、押手・妻手が互いに思い遣りながら、バランスよく引き分けて来て
同時に会に入ります。気持ちを心の中央に置き、丹田に力を入れて、弓矢は自分の骨法にしっかりとはめて、体全体で弓の力を受けて、その上で、体の中心である胸の中筋から左右に肩・肘を通して矢の延長線に力を伸ばして行って、一文字に放せと教えています。

これだけの教えですが、この中にも沢山の重要な事が隠されています。
ここに書いた僅か10行の説明は貴方が弓道をやっている間の一生涯附いて離れない教えになるでしょう。私も40年以上弓を射いていますが、この10行の内容が経験年数・段位によってどんどんと深くなっていくのです。
射法については、皆さんは弓道教本に書かれている内容をしっかりと身に付ける事です。特に、小さな文字で書いて有る所や、最後の図解の小さな説明は大変に重要な内容が書かれています。

射法訓の最後の3行について簡単に触れておきます。
書に曰くとは、竹林流の伝書を指しています。
伝書にはこんな事が書かれていると言う意味です。
鉄石相剋して火の出る事急なりとは、非常に高いレベルの話ですが、上に書いた様に、骨法にかなった形で会が出来て、弓の力を体全体で均等に受ける事が出来て
さらに気力でもって胸の中筋から肩・肘・手の内へと力が体の中心から順次外に広がっていくとその中で非常に軽い鋭い離れが生れます。
それは放れでなく、離れです。
自分の意思で放す離れではなく、自然と離れていく離れです。こんな中から生れた矢は鉄と石がぶつかり合った時に出る火花の様なすべてを一瞬にまとめたような素晴らしい離れの中で、強い矢勢の矢が生れ、的に吸い込まれて行くような的中となります。すなわちと言い換えています。
それは伝書の他の処に書かれている内容ですが、金体・白色・西・半月の位なりとなります。これは竹林流の極秘の「五輪砕(ごりんくだき)」と言う考え方です。
これは冒頭に書いた竹林坊如成が修行をした真言宗の五大思想と言う仏教の物凄い深い思想に繋がっています。これは説明を始めると大変にページ数も必要になりますので、もしどうしても知りたい人は「秋の巻」を参照にしてください。

8 最後に

この礼記射義・射法訓の解説シリーズは、秋の巻の前にもっと難しいものを整理しました。先輩方の文献や仏教の本などを一生懸命に勉強しながらーーこれは自分の勉強の為にまとめたものでした。それを弓道の仲間に見せたら、大変に参考になるがもう少し分かりやすく書いて欲しいと言う話が出て、称号者クラスの人を意識して書きました。
そうしたら5段クラスの人が、難しいからもっとやさしく書いて欲しいと依頼がありました。そこで初心者向けに書いた積もりでしたが、仏教や儒教の事を常識の様にした文章は分らないからもっとやさしく仏教も儒教の何を知らない人を対象にして書いて欲しいと言われて、この「春の巻」が生れました。そして5段クラスの人に言われて書いたものを「夏の巻」として、一番はじめに書いた称号者向けのものを「秋の巻」と名付けました。これらは皆同じ事を書いています。しかし、どんどんと深く・広くなっています。春の巻で簡単にしてしまった所を夏の巻ではしっかりと説明し、夏の巻で簡単にしてしまった所は秋の巻でしっかりと説明しています。
この3冊で、初心から称号までの全体の道しるべになるのではないかなあと想っています。私も未熟者で未だ教士6段でしかありません。これ以上の世界で体得する事は当然の事として書ききれていません。まあ、松井という男はこんな風に考えているのかと言う考え方で読み進んで貰うと善いかと思います。
そして、この礼記射義と射法訓が弓道を続けて学んでいる一生に亙っての重要な教えであり、その意味の深さは、行数ではなく、その後ろにある多くの本や思想や伝書など途方もない量の情報を集約したものに過ぎない事を理解するでしょう。

ご質問があれば、何なりと寄せて下さい。
私でお答え出来る範囲で回答したいと思います。
連絡先は
郵便番号 492―8312 愛知県稲沢市高御堂2―23―6 松井 巌宛です。
EMailは、i-matsui@yb3.so-net.ne.jp 又はBZL15142@nifty.ne.jpです。
以上